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ルーズソックスとか嫌いだった。

私は四十五歳男性なのだが、最近、私の世代の子供達が、高校生くらいになったこともあって、テレビ番組で、あの頃の高校生の文化を紹介する番組が増えたような気がする。
「あの頃の女子高生はみんなプリクラが好きで、ルーズソックスを履いてたのよ」
冗談じゃない。
私はルーズソックスを履いた女は嫌いだった。
プリクラもカラオケも嫌いだった。
どうしてその時代の若者の趣味を画一化するのか?
流行に置いていかれることを極端に恐怖する心理は心の弱さだ。
友達と共通の話題を持つために己れを流行の中へ投じる愚かさ。
何人の男あるいは女と付き合ったと自分の恋の遍歴を自慢する軽薄な奴ら。
たしかに流行の中を生きたほうが、同類を作りやすい。しかし、その同類とは「愚かな大衆」に過ぎないのだ。
「お母さんが高校生の頃は、女子はみんなルーズソックスを履いていたのよ」
私はその「みんな」ではないルーズソックスを履かない女の子が好きだった。
その子は明るく人気があり可愛かった。ダサいなどとは無縁の子だった。
私はルーズソックスを履いて、プリクラに行って、カラオケで締める、そんな生き方をしている女が嫌いだった。
テレビ番組が私の青春時代をどんな時代だったか振り返るとき、「みんな、そうだった」と「愚かな大衆」に一括りにされたくない。愚かな大衆は大衆だから、異性との出会いも多く、結婚できる可能性が高くなる。結婚したいがためにあえて大衆の中に入る人もいるだろう。社会はそんな「愚かな大衆」中心に動いているのか?そんな社会は嫌いだった。
しかし、私は最近、テレビをほとんど見ない。職場で常にテレビがついているのでそれをみる程度だ。
そこで思う。
「愚かな大衆」を作っているのはテレビだ。

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