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記憶に残るラーメンの思い出。

今日も、ひとりでラーメンを食べに行った。
スマホの修理をしてもらった帰りのことだ。
市内にある何度もリピートしている豚骨ラーメンの店だ。
この店には思い出としていつまでも忘れられないエピソードがある。二十年くらい前の話だ。
この店がオープンしたとき、初日に、「十円ラーメン」というのがあった。先着百名に、十円で一杯のラーメンを提供しようというものだ。私は友人を何名か誘って、その列に並んだ。十二月の寒い日だった。寒い中、十円でラーメンが食べられると私たち貧乏な仲間はテンションが高かった。そのうち女の子のひとりが、五十円玉を側溝の中に落としてしまった。金属の網の蓋がありその隙間から落ちたので、蓋を開けるのも重くてできず、彼女は落ち込んでいた。みんなは笑って、「六十円でラーメンを食べられると思えばいいじゃん!」と慰めた。結局、私たちは百番以内に入っていて、ラーメンを食べることができた。もちろん美味かった。だからこそ私はこの二十年、何十回もリピートしている。ただ、この思い出は味の記憶ではない。友人との楽しかった記憶であり、そこにラーメンが媒介しているというところがポイントだ。
ラーメンの思い出は数知れずあるので、それは今後折に触れて語ることにしたい。味についてはひとりで食べたときのほうが記憶に残っているような気がする。しかし、友人など誰かと食べたラーメンは味よりもその人たちとの思い出としての印象が強い。
安くて美味いラーメンは私たち貧しい人でも富める人でも思い出を豊かにしてくれる。思い出を豊かにしてくれるということは人生を豊かにしてくれるという意味だ。
ひとつの品目で、これだけ私たちに人生上の何かを与えてくれる料理は他にないように思う。
ごちそうさま。

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