統合失調症と大学受験
1995年、あの世相の暗かったまさに世紀末な年の秋、私は高校二年生で統合失調症を発症しました。
進学校だった私の高校では周りの生徒は大学受験にいよいよ舵を切る頃でした。
私は勉強どころではありませんでした。統合失調症などという病名を知らない私は、自分が狂人になったと思っていました。
世界がまるで人工物のように無機質に見えました。高校の授業ではただ、恐ろしさのあまり、机にしがみついて震えているか、眠っていました。授業の内容などまったく頭に入って来ませんでした。
家庭での学習もやめてしまいました。高校三年生の一年間は鉛筆を一度も持たなかったような気がします。
私は普通の受験生を演じるため、形だけ受験しました。受験の費用は相当なものなので親には申し訳なく思っていました。
地方から出て都会のホテルに泊まりました。どのビジネスホテルの部屋にもテレビがあって、有料チャンネルがありました。アダルトビデオを見ることができました。私にとって、それは生まれて初めての体験でした。千円払ってカードを買えばいくらでも見ることができましたが、そこまでする気は起きず、十分ほど試しに見ることができたので、その十分間で「こんなことではいけない」と思いながら、オナニーをしてしまいました。それまでエロ本を買ったことのなかった私は親のいないことをいいことに、ホテルの近くのコンビニでエロ本を買って、部屋でオナニーをしました。自分が情けなく思えましたが、幻聴や妄想の地獄のような狂気の中にいた私は、「我慢し過ぎるのもよくない」と考えて受験の前日の夜にホテルでオナニーをたくさんしました。
歓楽街の中にあるビジネスホテルにも泊まりました。朝、ホテルを出ると、烏がゴミを漁っていて、近くの風俗店から三十代くらいのネクタイをした男と、不潔な女が腕を組んで出てきました。童貞で田舎者の私には衝撃的な光景でした。
受験当日では、受験勉強をまったくしていなかったので、試験問題がわかるはずがありませんでした。ある有名私立大学の英語の試験では開始十分で、諦めて、机に伏せて眠りました。後ろの席の受験生はどう思ったことでしょう?
そんなわけで、私は受験したすべての大学に落ちました。
一年浪人することが決まりました。(大学に行かないという選択肢は私の中にはありませんでした。周囲の人がみんな行くから自分も行かなければならないと、まったく主体性を欠いた人生観でした)
私はこの受験という地獄から一年かけて抜け出すために決意しました。
「受験科目を狂った頭でもできそうな科目、国語、英語、世界史に絞って、とにかく来年はどこかの大学に合格しよう。それから来年の受験では有料チャンネルは見ないぞ」
私は予備校に通い始めました。
同級生が多く行く予備校を選びました。主体性がありませんでした。
予備校では私はSクラス(スタンダードクラス)に入りました。高校の同級生たちはみな、Hクラス(ハイクラス)でした。事務員に私はなぜHクラスではないのか質問すると、センター試験の点数でクラスが決められてしまうとのことでした。
私の通っていた高校は地元ではトップの学校で、その高校にいるだけで「頭がいいんですね」と言われていました。それが、「おまえは勉強ができないからSクラスだ」と自分の能力を初めて否定されたので、私は偏差値の低い高校に行かざるを得なかった人たちの自己肯定感を否定される気持ちを初めて味わいました。
悔しかったので、猛勉強して、予備校の夏の試験に合格してHクラスに入りました。
私は孤独でした。頭の中は、国語と英語と世界史で常に満たされていて、離人感と言ったらいいのでしょうか、現実が遠い存在でした。同級生と話をしていても、相手が生きた人間であると認識することすら難しい状態でした。
私の友達は自習室にある仕切られた自分の机でした。そこから教室に授業を受けに行き、授業が終われば自習室に帰り、気分が乗らなければ街をぶらぶらしました。いつも独りでした。誰かと話しているときさえも。
私は一年間狂った頭なりに猛勉強して、翌年の受験に臨みました。
有料チャンネルは見ませんでした。
私は受験を終えて地方の駅に帰ると、そこから家に電話をしました。すると、母が出て、最初に受けた私立大学の合格通知が来ていると言いました。私はホッとして全身の力が抜けたのを覚えています。
私は結局、他の受験した大学もみんな合格しましたが、最初に合格通知が来たその私立大学に進学しました。
私はこうして統合失調症でありながらも、世間的には一浪した大学生という体面を保ちました。
これがよかったのか悪かったのか私にはわかりません。
その後、ひとり暮らしをして大学に通い、三年生でいよいよ、病気のため社会で生きていくことが難しいと判断した私は実家に帰り、精神科の初診を受けました。
そして、一年休学して、復学し、二十四歳で大学を卒業しました。
表向きは普通の人生ですよね。裏は以上に描いたような地獄でした。いや、脳内の苦しみは私の文章力では表現しきれません。
でも、もしかしたら、普通に見える人の人生もみんな同じようなものかもしれません。
自分だけが地獄を見ただなんて思うのは、思い上がりでしょう。たぶん。