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いとも美しい登山の世界

私は今日、四連休明けて、朝から職場である老人ホームに行った。
私は今日は日勤リーダーだったので、四日間のうちに変わったことがないか知るために早めに職場に入った。連休中に新規入所者があり、私はその人の担当職員だった。
その新規入所者のおばあさんの介助をさっそくすることになった。ウンコを漏らしているらしい。トイレに連れて行き、ズボンと紙パンツをずらして、お尻を拭いて、ズボンが汚れていたので新しい物に換えた。もちろん紙パンツを換えた。
いや、私は今日はウンがついていた。十一時半頃、座薬を入れたおばあさんが寝ている部屋の前を私が通りかかったとき、そのおばあさんは床に敷いたマットレスに寝ていたのだが、スボンと紙パンツをずらして、手でウンコを床になすりつけていた。私は他の職員とおばあさんの手を拭いたり、床を拭いたり、服を着替えさせたり、一度トイレに座らせたり、とまあ大変な思いをした。今日は私はウンがついていた。
そんな私は思った。四連休に趣味の登山に行ってきたのだが、その登山がいかに素晴らしいことだったかにようやく気づいた。私は登山中、雄大な景色を見てもそんなに感動していなかったのである。美しい景色だなとは思っても、私の人生がそれでどうなるわけでもないと否定的な気持ちがあった。
 
私は岐阜県の新穂高から林道を歩いてわさび平にある山小屋に向かっていた。天気は雨。ゆっくり動いていた台風が熱帯低気圧になった翌日のことだった。天気予報は晴れだったが、この台風、専門家も予想がまったくできないノロノロ台風だった。静岡県沖で熱帯低気圧になったらしい。九月二日の朝、私はその静岡から軽自動車を運転して、中部横断自動車道、中央道、長野道を通って松本インターで降り、国道158号線と471号線を通って、新穂高の無料駐車場まで来た。天気のせいかガラガラにすいていた。
で私は雨の中、雨具を着て、わさび平まで来た。カレーを食べたあと、二百円の有料トイレに入ってウンコをした。こりゃ二百円払った価値はあるわい、と思うほどよく出た。トイレから出ると雨は小降りになってきた。こりゃ、ウンがついてるぞ、にやり、と思った。アホか。


私は歩きながらこの登山をまるで仕事のように思っていた。鏡平という所にある山荘に予約をしてあったため、この予想できない台風が去ることを毎日気にしていて、当日には台風一過で快晴だろうなどと信じていた。それが出発前日インターネットで調べると登山日和ということなのである。キャンセル料を払いたくない私は半ば義務感でこの登山に臨んだ。予定では槍ヶ岳が逆さに映る鏡池のある鏡平山荘に泊り、翌日は天空の滑走路というのがある双六岳に足を伸ばし、そこから折り返して、稜線を歩いて笠ヶ岳に行き、そこでテント泊して笠新道を通って下山するつもりだった。一度立てた計画はどうしようもない理由がない限り、実行に移さねばならないような気がした。天気が晴れならば行くしかなかった。しかし、わさび平から鏡平に向かう小池新道の途中まで雨は止まなかったのである。そして、テント泊の重い荷物に私は息切れして、もう登山なんか嫌だ、と思ったのだった。自分の趣味だからいつでも自由にやめることはできる。私は本当にやめようと思った。


で、鏡池に着いた。デッキにはひとりおじいさんがいるだけだった。

池には槍ヶ岳は映っていない。その峻峰は霧の中である。私は残念という感慨もなかった。見られなくともどっちでもいいやと思っていた。私は仕事をこなすように、山荘にチェックインし、義務のように山荘名物のコーヒーフロートを食べ、念のため鏡池に行ったが槍ヶ岳は見えず、小屋に戻って昼寝をした。翌日、双六岳に行くのが面倒くさくなってきた。疲れていたのである。双六岳はカットし、直接笠ヶ岳に行くコースも取れる。そのほうが随分楽だ。楽をしたくて登山するのもアホらしいが、実際に登っていると、登るのが面倒くさくなるらしい。しかし、この時はまだ知らなかった。連休明けで、私がウンがついていたために、いかにこの登山が素晴らしかったと思うことを。


登山は趣味である。重いテントを背負ってヒーヒー言うのも趣味である。老人ホームでおばあさんの尻を拭いているときに、そのテントを背負ってヒーヒー言っている私がいかに贅沢であったかを知るのだった。
結局その日は槍ヶ岳は見えなかった。夜は晴れたようで、槍ヶ岳山荘の明かりが見えたが、暗い夜では槍ヶ岳は見えなかった。明日は晴れるらしい、そう思って寝た。疲れていた私は、朝、四時に起きられたら双六岳に登り、眠くて起きられなかったら、双六岳はカットして、代わりに鏡池でのんびり槍ヶ岳を見て写真でも見て過ごそうと思ったのである。
結果、四時のアラームを止めると、私は再び夢の中へ行ったのである。しかし、寝坊にも限度がある。鏡池で朝日を背にした槍ヶ岳を見られなければ来た意味がない。双六岳をカットする以上、その代わりとなるものが欲しい。私は気合いを入れて起き上がり、歯も磨かずに、小屋の用意してくれたポットから熱い湯を水筒に注いでインスタントコーヒーを作ったら、鏡池に向かった。
鏡池のデッキには私ひとりだった。


空は晴れている。いや、雲があるがそれは上空はるか高くである。
槍ヶ岳、そして右側に伸びる穂高連峰は私の前にハッキリと黒いシルエットを見せて現れていた。
日の出前である。
私は濡れたベンチにビニールシートを広げて腰を下ろし、持参したサンドイッチを食べてコーヒーを飲んだ。
対するは槍ヶ岳である。


右を見れば一ヶ月前に登った奥穂高とその際に挑戦し見事生還したジャンダルムが見える。

ついでに言えば、槍ヶ岳は十年ほど前に登っている。ただ、その間にある大キレットと北穂高は登っていないから、登って見ても面白いかな、と思ったが、その仕事もめんどくせえな、とこの時は思った。
空が明るくなっていく。


槍ヶ岳穂高連峰のカタチもくっきりと見えてくる。
私は周囲を見渡した。
「なんだ?さっきから、他の登山者はときどきひとりかふたり現れるだけで、すぐに去って行く。この絶景を俺が独り占めしてもいいのか?いや、本当に絶景なのか?ここに来ればいつでも見られる景色だ。そうだ、別に興奮することじゃない。たいしたことじゃないんだ」
空が朱く染まる。
湖面にはその空が映る。


私はいろいろな角度で写真を撮った。

奥穂高ジャンダルムにもカメラを向けた。


湖面をアップに写したりもした。


ずっと独りだった。
孤独ではない独り・・・。
寂しさのない独り・・・。
私はその時は気づかなかったが、非常に贅沢な時間を過ごしていた。
二時間近く、そこにいたのだ。


日が高く昇ると私はようやく出発した。双六岳をカットしたから、時間は充分あった。
双六岳はまた別の機会に、鷲羽岳や水晶岳を登るときに三俣蓮華岳とセットで登ればいいや、いや、めんどくせえな。その時はそう思っていた。


 
笠ヶ岳に向かって私は歩き始めた。しばらくは、槍ヶ岳穂高連峰が私の左にずっとあった。


秩父平という辺りで、弁当を食べて、槍を見ると、そこに槍はなく、いや、あるはずだが霧で隠れていた。穂高連峰もそうである。



私は重い荷物を背負い、笠ヶ岳に向かって歩いた。
途中、ぬけだけという山頂の下に着いた。登らなくてもいいどうでもいい山である。しかし、私は考えた。
「今はクソ面白くもない、ただ面倒くさい抜戸岳だが、下界に帰ったら行っておけばよかったと思うだろう。双六を行かなかった分の体力を使うと思えば行くべきだ」
私は道端にザックを置いて、水の入ったペットボトルを一本だけ持って岩場を登り始めた。山頂に着いても展望はなかったが、一応行った証拠に「抜戸岳」の文字の入った杭を写真に収めただけで、また、岩場をザックを置いた場所まで降りた。


それから、また笠ヶ岳に向かって歩いた。


 
笠ヶ岳のテント場に着くと私はテントを建てた。いいテント場だった。
それから、笠ヶ岳山荘まで登り、受付を済ませた。
そして、いよいよ、笠ヶ岳に登るのだが、周囲は霧だった。
山頂も霧で面白くなかった。


私は山荘に戻ってビールを買い、テント前で飲んだ。


槍ヶ岳は霧の中である。
私はテントに入って眠った。
四時半頃夕飯を作るためにテントから出た。


まだ、槍ヶ岳は雲の中だが、もしかしたら見えるかもしれなかった。
料理をしてそれを食べていると、ちょうど槍ヶ岳が見えた!


しかし、それがなんだと言うのだ!
素直に感動できない自分がいた。
槍ヶ岳が見えた見えないで一喜一憂している私はバカなのか?
しかし、今日、おじいさんのオムツを開くと、泥状便が溢れていたのを見たとき、あるいはおばあさんの布団を捲ると、シーツが濡れていて、パジャマのズボンを下げると、泥状便が漏れていて、肌着もパジャマもシーツも換えることをしていたとき、私はあの笠ヶ岳のテント場で見たなんでもないと思っていた景色を思い出した。


絶景ではないか。
夕日も見たくて、笠ヶ岳山荘の裏へ回ったが、そちらにはほぼ山はなく、夕日が雲の中にあった。

その時の私はそれをつまらなく思い、テント場に帰った。テント場からは夕日は見えない。
槍穂高は再び雲の中だった。


 
夜が明け、テントの外に出ると、槍穂高がよく見えた。


テントは濡れていた。夜中に雨が降ったらしい。
朝食のインスタントラーメンも家で食べるよりずっと美味しく感じた。
いや、下界で働く私は高山のテント場で朝日を見ながらラーメンを食べる自分を羨ましく思っていた。



あれは絶景なのだ。


まちがいなく絶景なのだ。


それに慣れるべきではないのだ。
私は絶景の中にいたのだ。


登山には価値がある。
苦行ではないのだ。


私はテントを畳んで、荷物を整え、山荘のトイレでウンコをすると、山を下り始めた。
下る道は笠新道という急登で有名な登山道だ。


何組も登って来た。
空は晴れていた。
面白くもない道だが、下界にいる今の私から見れば贅沢な時間だ。
私は水筒の水の量を誤り、下山時には水がなくなるという危機感を感じながら下ったが、その危機感すら下界の私からすれば魅力のあるものだった。


 
私は素晴らしい世界にいる。
間違いなく美しい世界にいる。
そう思わせてくれるのが登山なのかもしれない。

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