『空中都市アルカディア』8
三、 ホバークラッシュ
ホバークラッシュの闘技場はトリトン海浜公園の砂浜近くにある。すり鉢状の観客席があり、その底にさらに傾斜の急な円形すり鉢状の斜面と中央に円形の平らなリンクがある。すり鉢の傾斜は観客席の最前列の手前で垂直にそそり立っている。
ジュニアの部は、予選では各組十人が同時に滑走し、最後までダウンしなかった者が勝ち残り、他の組で勝ち残った者たちと五人で決勝を戦う。
ライオスとカルスは決勝に進んだ。他の三名は、イタリア人の何某、シリア人の何某、ドイツ人の何某。ちなみにイタリア半島はギリシャ半島より小さくその南端にネオ・ローマがある。シチリア島は大きな島ではなく、小島にその名が付けられているに過ぎない。
シロンとアイリスは観客席で試合が始まるのを待っていた。
すり鉢状のリンクにはまだ選手は出て来ない。観客席には次に行われるアルカディアを賭けた一般の部の決勝を見るために観客が集まっている。
ホイッスルが鳴った。
ヘルメットを被り肘と膝に防具を着けた選手たちが闘技場の隅にある入場口からすり鉢状のリンクに出た。カルスがまず飛ばして、さっそく金髪で長身のドイツ人の何某に仕掛けた。すり鉢の斜面を滑走するドイツ人はカルスの後ろを滑っていたがカルスはチックタックフライで空中高く跳び上がりその下を滑り抜けるドイツ人の何某に対して後方上空から一撃を加えた。ヘルメットの後頭部にカルスのボードの裏がクラッシュした。ドイツ人は倒れ、すり鉢の底へ滑り落ちた。このホバークラッシュ、板から落ちたら負けだ。すぐに担架が出てドイツ人は運ばれ退場した。
ライオスは、その間、シリア人の何某とイタリア人の何某に追われていた。
ふたりに追われる背の高いライオスはフルスピードで逃げて機会を窺っていた。が、追跡するふたりにもうひとり選手が加わった。ドイツ人を倒したカルスだ。カルスとシリア人とイタリア人はアイコンタクトで意思を確かめ、ニヤリと笑い、並んでライオスを追い駆けた。が、その途中、突然カルスはシリア人の何某を側面から攻撃し倒した。シリア人は派手に転がり、すり鉢の底部に滑り落ちた。
イタリア人は言った。
「卑怯な!」
カルスは笑った。
「は、卑怯?これがホバークラッシュだろ?」
イタリア人のあとをカルスが追った。ライオスはすり鉢のかなり遠くを滑走している。
イタリア人は空中にチックタックフライで跳び上がり、カルスを攻撃しようとした。が、カルスは突然向きを変え、すり鉢状の斜面に停止した。斜面に停止するのは難しい技術が要る。イタリア人は攻撃対象のカルスが止まっているため、無人の場所に降りざるを得ない。イタリア人が上空から降りて来るのを悠然と待ってカルスは降りて来たところを攻撃した。イタリア人は転倒しノックアウトとなった。
さあ、あとはライオス対カルスの一騎打ち。
赤髪でそばかすのあるカルスは言った。
「ライオス、いつかのように、ぶっ潰してやるよ」
金髪をなびかせるライオスは笑った。
「おもしろい!」
ライオスのあとをカルスが追った。ライオスは速度を上げた。すり鉢の中を縦横無尽に滑走した。
カルスは言った。
「ライオス。アイリスはかわいいよな?」
「は?」
「おまえ、アイリスとシロンがいい仲だって知ってるか?」
「なに?」
一瞬、ライオスは減速した。そこをカルスは見逃さなかった。カルスは後方からボードの裏面をライオスのふくらはぎへ当てた。ライオスはバランスを崩し、ボードから落下した。この瞬間、カルスの優勝が決まった。結果としてカルスが他の四人をひとりで倒したことになる。カルスの圧勝だった。
ちなみにこの競技、一般の部では十名で決勝を戦う。金メダルは当然勝ち残った者の物だが、一般の部では判定でアルカディア行きが決まる。判定はアルカディアに行くための八名の不正な結託を防ぐため予選の活躍も考慮に入れる。つまり、メダリストになってもアルカディアに行けるかどうかはわからない。審査の結果、上位八名がアルカディアに行ける。ただし、ジュニアの部と違って、参加できる競技はひとりひとつと決まっている。ホバーボードの競技はスピードレースもある。カルスは当然、シロンはスピードレースを目指していて、ライオスはホバークラッシュを目指しているものと思った。
ライオスはその夜、茶色の瞳を天井へ向けベッドの中で考えた。
「俺はカルスの言葉に負けた。あの瞬間、俺はシロンに嫉妬した。シロンとアイリスがいい仲?俺たちはいつも三人だ。あのふたりだけが特別な関係?俺は疑っているのか?俺はアイリスのことが・・・?いや、俺たちは友達だ。それとも俺はアイリスに恋しているのか?彼女を独り占めしたいのか?そんなことは考えたこともなかった。アイリスは抜群に勉強ができる。人格も優れている。アカデメイアに行けるだろう。シロンもそれに次ぐほどに勉強ができるし、人格も悪くない。だが、俺はあいつらと比べると少し勉強ができない。それはわずかな差だ。わずかだが、アカデメイアに行けるかどうかには決定的な差だ。その差を争って世界中から受験者がこのネオ・アテネに集まるんだ。もし、シロンとアイリスがアカデメイアに合格し、俺だけが不合格になったら、あのふたりはアルカディアで・・・。バカな、何を考えているんだ」
ライオスは眠れなかった。
ライオスは朝方、自分のパンツが濡れているのに気づいて、早くに起きた。夢で見たことを思い出そうとした。女の裸が出てきた夢だった。それはアイリスのようでもあったし、他の女でもあったような気がした。ゆらゆらとイメージが変転し、そのあと、全身に快感が溢れかえったような感覚に襲われ、目覚めて見るとパンツが濡れていた。
こんなことは前からあった。決まってアイリスが登場した。学校で毎日会っているため、金髪で青い瞳のアイリスはあまりに近い存在だった。彼女はライオスの心の中に深く根を下ろしていた。もちろん、シロンもライオスの心の中では重要な存在だった。なくてはならない友だった。
だが、あのひと言、カルスの言葉。
「アイリスとシロンがいい仲だって知ってるか?」
三人は、小学校の入学式のあの日からずっと親友だった。だが、カルスはホバークラッシュの試合中、その友情にメスを入れた。メスとは疑いのことだ。ライオスはアイリスのことを恋の対象として意識した。そうなるとシロンの存在は脅威だった。
九月、三人はコロナキ中学三年生になった。
晴れた新学期初日にライオスが登校すると、他の生徒が大勢いる教室でアイリスとシロンが話をしていた。
「よう、おはよう、ライオス」
とシロンが言った。
「おう、おはよう」
「おはよう、ライオス」
と少女アイリスが言うと、ライオスは答えた。
「お、おう、おはよう」
アイリスは笑った。
「なに?ライオス。なに吃ってんのよ」
ライオスは言った。
「ど、吃ってなんかないよ」
シロンは笑った。
「吃ってるじゃんか」
「笑うなよ」
ライオスはシロンに鋭い目を向けた。
シロンは言った。
「なんか怖いぞ。どうしたんだ、ライオス」
「どうもしてない」
とライオスは言うと、アイリスが笑って言った。
「わかった、なにか青春の悩みがあるのよ、ライオスは」
「恋か?」
シロンはニヤリと笑った。
ライオスは即答した。
「ちがう」
三人がそう話している教室へ下級生の黒髪で背の低い女子がひとり入ってきた。
「シロン先輩!」
「え?」
シロンにはその下級生女子が誰なのかわからなかった。
「シロン先輩、世界一おめでとうございます」
シロンは答えた。
「あ、ああ、ありがとう」
その背の低い女子は言った。
「わたし、あのレースを見てからシロン先輩のファンになりました」
シロンは驚いた。
「俺のファン?」
「わたし、マリシカっていいます。わたしをホバーボード部の女子マネージャーにさせてくれませんか?」
「え?」
シロンは当惑した。
「それは俺に訊かれても困るな。顧問に言ってくれないと」
背の低いマリシカは言う。
「シロン先輩は、わたしがマネージャーになるのは嫌ではないんですか?」
シロンは困った。中学のホバーボード部にマネージャーはいない。
「いいんじゃないか?なあ、ライオス」
ライオスはいきなり訊かれ、答えに困った。そして言った。
「俺は別にかまわないよ」
ライオスはそう言ったとき、「そうだ、このマリシカという子とシロンがくっつけば、俺とアイリスが・・・。バカな!何を考えた!俺は最低だ!」と思い、ライオスは自分が嫌になった。
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