統合失調症者よ「がんばれ」「あきらめるな」!
精神病に罹った人に対して、とりわけ統合失調症になった人に対して、「がんばれ」とか「あきらめるな」は禁句のように言われていると思う。たしかに、十六歳で統合失調症になり、二十一歳で初診を受けた私は、初診後、かなりの間がんばらなかった。徹底的に甘えた。そういう時期があってもいいと思う。しかし、私は人生をあきらめたことは一度もなかった。
夢をあきらめても良い。ただ、人生をあきらめることは絶対にしてはいけない。
私はマンガ家を目指していた。しかし、初診を受けたきっかけが、「生き生きとした線が描けない、精神の病気のせいだ。この病気を治さない限り、マンガ家は無理だ」と思ったところにある。しかし、闘病を続けてもマンガは描けないし、マンガにこだわると精神が繊細になりすぎて、虫も殺せないような優しすぎる生きる活力のない人間になってしまう。そのようなことから、私はマンガ家に向いていないし、そもそも絵が上手くない、だからマンガを描くのは辞めよう、そう考えた。そしてマンガ家になるのはあきらめた。生き生きと強く生きる方を選んだ。そして、マンガ家の夢は小説家にすり替わった。小説ならば、マンガほど繊細になり過ぎることはないからだ。それは小説を書き始めてわかった。私は小説家を目指し始めたときは芥川賞など夢見ていたが、今では、マンガで描きたかったものを小説で書くという夢を見ている。私は夢をあきらめていない。しかし、そういう生き方ばかりが人生ではないだろう。「結婚して幸せな家庭を築きたい」このほうが多くの人が同じように持つ夢ではないだろうか?統合失調症になった人で、「結婚して幸せな家庭を築く」ことをあきらめている人も多いのではないだろうか?もちろん、それが人生をあきらめているとイコールではないと思うが。
私は「人生をあきらめるな」と言いたい。そのために「がんばれ」とも言いたい。先に述べたように、私もがんばらない時期が何年かあった。しかし、私は大学を何とか卒業して、数年後にパートタイムで働き始めた。誰もやりたくないような肉体労働だった。それを続ければいつか精神は良くなる、そう信じた。毎朝、起きるのが辛かった。もうやめてしまおうか、毎朝思った。しかし、出勤した。やめれば、デイケアに通う生活が待っている。いや、私は働きながらちょくちょくデイケアに顔を出していた。そこで、就職したけどすぐに辞めた、などと笑い話のように言う人がいたが、そこに共感してはいけないと思った。「俺は辞めない」。結局、その肉体労働の仕事を五年間続けた。ワーキングプアだったが五年間働いたことで自信を得た。その後、人の紹介で約一年植木の仕事をした。しかし、その会社は個人経営の兼業農家の人の会社だったので、オフシーズンも私を雇うほど余裕はないのはわかっていた。私は退職した。それから、仕事を探したが、なかなか継続できる職場が見つからなかった。私はついに障害者手帳二級を取得し、障害年金を貰うことになった。それからはゆっくりと仕事を探した。そして、見つけたのが現在も続けている介護の仕事だ。以前の肉体労働ほど体力的にきつくなく、職場環境も良かったので、十年続いている。毎朝、眠たい自分に鞭打ち出勤している。昼休みも休憩室で眠っているが、アラームが鳴ると、「もうちょっとだけ」と思う自分に鞭打ち起きる。「ここで辞めたら、今までの努力がパァだぞ」と毎日、言い聞かせている。働かず、デイケアに通っていたときは、十一時頃まで寝ていて、朝食を食べたら、すぐに出かけ、カップラーメンを買ってデイケアに行き、そのカップラーメンを食べて、トランプをして、お喋りして帰ってくる、夜はテレビを見て過ごす、などというのがざらだった。眠ることは病気にとっていいことだ、そう考えていた。しかし、今は違う。遅刻はサボりだ。怠け者のすることだ。初診から二十二年、私はここまで変わった。そして、私は介護の仕事を始めてから登山をするようになったが、今年の夏山で、生死を賭けた体験をし、そのときの生きようとするなりふりかまわず岩を這い上るときの気持ちにより、生きようとする強い意志を精神の奥から引っ張り出すことができた。それは光明だった。統合失調症になってから、ずっと心の奥に隠れていた、むき出しの生きる力だった。
「死んでたまるか!生きてやる!俺は生き抜いてやる!」
そんな気持ちがわかるようになった自分には、素直に「がんばれ」とエールを送ることにしている。
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