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静岡市美術館でキース・ヘリング展を観て

今日は静岡に買い物に出かけた。
冬用の登山用のシャツと仕事で使うスニーカーを買いに行ったのだ。
静岡に着いたとき、松坂屋にキース・ヘリング展の垂れ幕があり、そういえば市美術館でそれをやっていることを思い出したので買い物が終わったら寄っていこうと思った。
私は精神障害者の手帳を持っているので無料で入ることができる。だから、美術館には気軽に行ける。
キース・ヘリングは地下鉄の落書きから名を上げた二十世紀後半の画家であることは知っていたが、その展覧会というのは観たことがなかった。
彼は大学生のときに、一部の人が入場する美術館ではなく誰もが観ることのできる地下鉄の構内に画を描けば様々な人に観てもらえるということで描いたらしい。駅長に許可を得て描いたのか知らないが、日本でも同じような若者はいると思った。
二十歳の頃の私がそういう人間だった。
私はマンガ家を目指していたが、精神に不調をきたしていた。芸術で有名になることしか考えていない狂人だった。大学の授業のないときは東京の都心を徘徊するキチガイだった。
結局、マンガ家は諦め、精神科を受診し、休学して静岡の実家に戻った。そして、油絵を描き始めた。抽象画だった。情熱のかぎりをカンバスにぶつけた。私はその絵を、渋谷とか原宿の路上で売ろうかと考えたりもした。まさにキース・ヘリングのような人間だった。
キース・ヘリングは同性愛者だったらしく、エイズにかかり、三十歳で死んだ。私は同性愛者ではなかったが、精神障害者というマイノリティであることには変わりなかった。
私はマイノリティの権利を芸術で訴えることになんとなく前向きでなかった。
芸術は政治的な主張を訴える場ではないと思っていたからであると思う。
私の抽象画は情熱と狂気を表現したもので、政治的な意図はまったくなかった。
現在、小説家として売れたいと思っているが、小説で精神障害者の権利を訴えるつもりはまったくない。そんなことに情熱をかけるよりは、『ハリー・ポッター』より売れる小説を書いた方がいい。そうすれば結果として精神障害者に対する世の中の視線も変わるだろう。
今日観たキース・ヘリングの絵はどれもつまらなく、私にでも描けそうなものだった。彼のやったことは売名行為であり、芸術活動ではなかった。いや、売名行為は芸術活動と一致するかも知れない。現在の私も小説執筆という売名行為をしている。しかし、性的マイノリティとかエイズとか、精神障害などを売名行為に利用するのは良くないと思う。
二十代の私はいつか普通に働けるようになり、精神を安定させその上で芸術家になろうと決めた。四十六歳の今も真面目に働いている。そして、小説を書いている。私の人生は上り坂だと信じている。
キース・ヘリングのように、世界中に名が知られ、三十歳で夭折した不幸なヒーローにはなりたくなく、もっと長く生きて作品を沢山残したいのである。

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