
『ジャンダルム』(12)帰還【ノンフィクション小説】
私はジャンダルムの西側を降りた。手ぬぐいの男が通って来たであろう一番安全とされるコースだ。鎖場の下まで降りねばならない。
途中、ジャンダルムの東側から、ドゴーン、という爆音が聞こえてきた。
私は恐ろしくなった。
「なんだ?落石か?なぜこんなに大きな音が?」
するとまた、ドゴーン。
見えない恐怖である。一瞬クマかと思ったが、クマがこんな山頂にいるはずはないし、だいたいクマがそんな大きな音を出すこともない。しかし、人が落とす石の音にしては大きすぎた。
私は怖々、鎖を登って、ジャンダルムの東側に回った。
何事もなかった。
私は帰りのルートを慎重に進んで行った。行きは登りであり帰りは下りである岩場は同じ道でありながら、違う道だった。

写真に残したのはほんのわずかで、怖いところは緊張して写真どころではなかった。
もちろん岩場で三点支持しているときに片手で写真を撮るわけにはいかない。

馬の背の写真も行き帰りに撮ったが、同じ場所からになってしまった。
動画を撮る人は、ヘルメットの上や、胸にカメラを着けるらしいが、私は動画を撮らないので、そういう装備はなかった。
馬の背では、私が下にいると、上に人がふたりいた。
ひとりは山頂に直登してきた男だった。もうひとりが降りようとしているのか私にはわからなかったため、私は上を見上げ、「登れますかー?」と訊いた。上から「どうぞ」と答えが返ってきたので、私は馬の背を上がり始めた。
途中、下を見たらあまりの高度に一瞬腰が抜けそうになったが、気を逸らして手元足下だけを見るようにして、登りきった。
岩場の道を慎重に歩いて再び、奥穂高山頂に到着した。
私はホッとした。
振り返ればジャンダルムは霧の中だった。

奥穂高山頂には「一般の」登山客が記念撮影していた。
私はもう奥穂高で写真を撮ろうとも思わず、穂高岳山荘に向かって降り始めた。
歩を進めるうちに、私は少しずつジャンダルムに行ってきたという実感が湧いてきた。口元が緩んで大きなことを成し遂げた自覚が芽生えてきた。
「やった、ジャンダルム、やった!」
この全身に駆け巡る歓びはどこから来るものか私にはわからなかったが、安堵感とともに何か勲章を授かったような気持ちになった。栄光と言うべきだろうか?社会の中の栄光とも違った。あの自然の要塞をクリアしてきたことで私は自分の勇気を証明したような気がした。勇者になれた気がした。
小説やマンガや映画あるいはゲームではなく、実際に危険な道を歩いてあるいは攀じ登って帰ってきたのだ。勇者の帰還だ。
それでも、まだ、油断はならなかった。奥穂高から小屋までの下山みたいな安心したところで人は怪我をするものだ。
しかし、山荘近くの岩場にかかった梯子を全て降りてテラスに立ったとき、真の安堵感と達成感が私を満たした。
私は小屋に入り、二泊目の受付を済まそうと思ったが、受付は十二時半からだった。
現在は、十一時五十六分だった。