何も降りてこない時に「小説を書くぞ」と思っても書けない
注:これは駄文である。
さっき「やることがないから即興短編小説でも書こうか」と思ったが、まったく着想がなかった。
即興短編小説を書きたくなる時は大概、書かずにはいられない衝動があるものだ。
その衝動がない時はまったく書けない。
今、私は長編小説の推敲をしているのであるが、自分で、よくもこれだけ長い物を書けるよな、と思う。
しかし、長編は半年くらい、あるいは何年も前から本を読んだり、取材に行ったりして準備しているのである。
自分の長編小説と、自分の即興短編小説を比較したら、長編小説に申し訳がない。
長編小説を書くのが私の人生であり、今も先に述べたように推敲しているし、すでに次の長編小説の準備をしている。
いや、その辺は大変充実している。
しかし、即興短編小説をアイディアが降りてこない時に無理に書こうと思っても、絶対に書けないのだ。
小説の衝動は、「よし、書こう」と思ったところで湧いてくるものではない。
もし、「小説家になろう」と言う人がいて、その人が、「じゃあ、どんな小説を書こう」と言うのならば順序が逆で、「こんな小説を書きたい」と思うから、その結果として「小説家になりたい」と思うものだと思う。
私はもちろん十年後に何を書きたいかなどそこまでは考えていない。
しかし、長編小説の冒険ファンタジーを書いていきたいという思いは強くある。
アイディアは枯渇しても、旅をするなどして井戸を掘るように、水というアイディアを汲み出せばよい。
私には長年文章を書いてきて、「文体」というものがある。
その「文体」でこうして、小説以外の物も書ける。
本来ならば文章を書いてメシを食っていきたいところだが、小説が売れないため、小説でメシが食えない現状がある。
どうすれば、小説が売れるか?
良い小説を書いていればいつか売れる。
そのためにこのような思いついたことを書き殴る「駄文」を書いている。
この「駄文」を書きながら、自分の中で文章を書く調子がグングン上がってきているのを感じる。
そのためにこの「駄文」を書いた。
読者には「駄文」に付き合っていただき申し訳ない。
さて、長編の推敲をしようと思う。
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