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贅沢に慣れてはいけない。ラーメンから海外旅行まで

今日は市内のラーメン屋に行った。
今日一日のビッグイベントである。
昨日からあのラーメン屋のラーメンが食べたいと思っていた。
昨日の夢を実現させたわけだ。
この店のラーメンはキャベツの芯みたいのがたっぷり入っていて、普通はキャベツの芯など美味いとは思わないのだが、このこってりしたラーメンの中ではインパクトがあって私は好きだ。
ラーメンとは外食としては安価である。
庶民のグルメである。
庶民だからと、安いからだと、その趣味は低級ではない。
高級グルメも世の中にはあるものの、ラーメンがそれらに劣っているとは思えない。
つまり、贅沢とは価格で決まるものではない。
私は今年の夏、ペルーへ海外旅行に行くつもりだが、エコノミークラスで行く。私にはビジネスクラスやファーストクラスに乗る財力はない。
YouTubeでファーストクラスがどんなものか見ると、座席がほぼ個室のようになっていて、JALの場合、一人分の席に三人は座れるようだ。もし、妻と子供と三人でファーストクラスに乗るとしたら、飛行機の中でトランプなどをして過ごすのも楽しそうだ。しかし、私には妻子がいない。それに良く考えてみると、いくら広い座席だからと、快適だからと、それで幸福であるかというとそうでもないように思える。私などは精神を病んでいるので、ファーストクラスに乗ったところで精神病が治るわけではないから、それを思うと、贅沢をしたところで幸福度が上がるとは思えない。もちろん初めてファーストクラスを利用した時に私はニヤニヤしてしまうのは想像できる。そういうときは素直にニヤニヤするのがいいと思う。贅沢に慣れてしまうのが一番怖い。私はペルー旅行のエコノミークラスの旅を想像するだけでニヤニヤしてしまう。安い趣味だな、とは言わずに、エコノミークラスで贅沢を味わえるならば存分に味わうべきだろう。ラーメンが安いからと言って、グルメではないわけではないのと同じだ。
ラーメンも毎日食べていたら飽きてしまうだろう。私は休日の昼にたまにラーメン屋に行く程度だから、贅沢を感じるのだと思う。
海外旅行も、「旅人」として世界一周旅行をしょっちゅうするよりは、たまに短期間の日程で行く方が贅沢を味わえると思う。世界遺産をすべて見てしまった人生は、もう地球に飽きてしまう人生かも知れない。まだ、行ったことがないところが残されているから、海外に憧れることができるのだと思う。
私はペルー旅行でアルゼンチンとブラジルの間にあるイグアスの滝の観光がついているツアーを見つけたが、イグアスの滝はペルーとは離れていて、南米ハイライトになってしまうため、そのツアーはやめた。イグアスの滝は自然の雄大さを感じる場所であり、今回のペルー旅行はマチュピチュがメインであるため、古代ロマンとイグアスの滝のセットは贅沢過ぎるからカットした。また、ブラジルやアルゼンチンの旅行はいつかしようと思う。
私はペルーについての本を読み始めた。こうして、ひとつの旅行のために、読書をするのも贅沢である。もし、何も調べずに行くならば、せっかくの楽しみが減ってしまう。だから、私は半年かけて準備する。
「もっと贅沢があるかもしれない」という思いがあると贅沢を満喫できない。贅沢はそのときどきの身の丈に合ったものを味わい尽くすのが良い。「身の丈に合った」とは私の嫌いな表現だが、小学生ならば小学生の贅沢があるし、二十歳ならば二十歳の贅沢があるのである。無論、その贅沢はそれにかかる費用の多寡では計れないものである。
先に述べたように、ファーストクラスで家族でトランプするには、家族が仲良くなければならない。贅沢とは単にカネをかけることではなく、人生の中でその状況にあった贅沢を感じる能力、感受性を持っていることが肝要であると思う。
今日のラーメンは美味かった。

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