『空中都市アルカディア』10
五、 アイリスの絵
シロン、アイリス、ライオスの三人はリュケイオン高校に進学した。カルスは高校に進学しなかった。
アイリスの芸術の才能は素晴らしかった。ピアノは聴く者の心を酔わせるプロ顔負けの技術があったし、絵も幼い頃からよく描いていて、コンクールなどで入賞すること度々だった。
アイリスは牧歌的な風景画を描いた。その絵を見た者は必ず、この世に悪徳などという物がないかのような感覚に浸ることができた。アイリス曰く、その風景はアルカディアの風景を想像して描いたものだ。シロンもライオスも、アルカディアが理想郷だとしたらこんな風なのだろうな、と思った。
シロン、アイリス、ライオスは高校に入ると三年後のアカデメイアの受験のための勉強を始めた。
校内の試験ではアイリスは常に一位を取るという成績を残すようになった。そして、シロンは常に校内ではアイリスに次ぐ二位だった。ライオスはというとふたりの成績と比べ、大きく後退し、五十位の前後を彷徨うようになった。
そして、二年生になると、ライオスは学問でアルカディアに行くのは難しいのではないかと自己評価するようになった。
「俺はホバーボードでアルカディアを目指すよ」
とライオスが言うと、シロンは、
「自由市民は諦めるのか?」
と言った。ライオスは答えた。
「俺はおまえやアイリスに比べ勉強ができない。ここは早く見切りをつけて、ホバーボードに打ち込むべきだと思うんだ。決断のときだ」
ライオスは悔しかった。幼い頃から、仲良く育ってきた三人で共にアカデメイアで学びたかった。だが、人生には諦めねばならないときがある、執着は身を亡ぼす、とライオスは考えた。それにホバーボードには自信があった。カルスというライバルがいるが、世界で八位入賞すればアルカディアに行ける。そして、少なくとも引退するまではアルカディアでホバーボードの選手として活躍できるのだ。あるいは指導者としてアルカディアに残る道もあるかもしれない。ライオスは学問よりもホバーボードを愛した。一流の人間になるには、不得意な部分を埋める努力をするより、強みを伸ばすことが大切だと思っていた。シロンの場合、学問とホバーボードの両方が強みというのがライオスには羨ましかった。だが、シロンは学問でアルカディアに行くか、ホバーボードで行くかを選択しなければならない。それは世界政府アルカディアの法律で決まっていることだ。アルカディアへの挑戦権はひとつの種目に絞らねばならない。
ライオスはシロンに訊いた。
「やっぱり、おまえは学問で行くのか?」
シロンは答えた。
「ああ、それは昔から決めていたことだ」
「そうか」
一方アイリスは、学問で校内一の成績を修めているのと並行して、趣味で絵画もピアノも楽しんでいた。シロンも勉強に励む時間を増やしたが、ホバーボードをやることは忘れなかった。
高校三年生になった頃、シロンが学校から家に帰ると彼の所に一通の封筒が届いていた。シロンは部屋に入って、その封筒を開けてみた。
すると一枚の知らない若い女の写真が出て来た。女は裸だった。
シロンはゾッとした。あきらかにポルノ写真だった。アルカディア世界政府の法律ではポルノは禁じられている。所持しているだけで処罰される。誰がこんなものを自分に送ったのだろうと思ったが、差出人の名は封筒にも写真にも書かれていなかった。
シロンは当然捨てようと思った。が、どこに捨てたらいいのかわからなかった。ゴミ箱に捨てたら、誰かに見つかるだろう。シロンはどこかのどぶ川に捨てることにした。しかし、そこで好奇心が出た。
「どうせ捨てるならば・・・」
シロンは自分の部屋でその写真をもう一度見た。女の裸の写真など初めてだった。高校生のシロンには抑えられない興奮があった。股間に手をやるとそれは硬くなっていた。触っただけでもう中から溢れて来た。シロンは写真の女に敗北した。
「ああ、俺はダメな男だ。いや、これを送った奴は俺を堕落させようとしているのか?」
シロンはこっそりその写真をズボンのポケットに忍ばせ、家を出た。そして、ホバーボードに乗って知り合いのいない遠くにある人の眼のつかないどぶ川まで行って、写真を破って捨てた。
そのことがあってから、シロンの網膜にはあの写真の残像が常にあった。家の机に向かい勉強をしていると、その写真を思い出し、硬くなったそれに手を伸ばして軽く擦っただけで絶頂に達した。
勉強に集中できなくなった。
学校に行くと女がたくさんいた。シロンはそのことを強く意識するようになった。アイリスとは今まで通り仲良くやっていけたが、どこかに後ろめたい気持ちを感じていた。
「アイリスをあの写真の女と同じ生き物として見たくない」
と思った。
シロンの成績は落ち始めた。
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