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長井龍雪監督アニメーション映画『ふれる。』を観てきた。

*ネタバレあり

今日の午前は映画館に出かけ、長井龍雪監督の長編アニメーション映画『ふれる。』を観てきた。
私はこの監督のアニメは『心が叫びたがってるんだ』と『空の青さを知る人よ』の二作、過去に観ている。
それと、今回の三作を観て、長井龍雪という人は現代の若者の日常を大切にする人だなと思った。
『ふれる。』はテーマが『心が叫びたがってるんだ』と同じコミュニケーションだった。特に親友とのコミュニケーションに焦点を当てていた。自分の都合にいい情報ばかり手に入れて、悦に入る今のSNSへの批判でもあった。本当の友達とは悪い感情もぶつけあってこそだと、この映画は言っているようだった。
ところで、物語の設定と筋について書きたいが、「ふれる」という動物がなにより鍵となる物語だが、この「ふれる」という生き物はコミュニケーションの抽象概念を具象化したものだと思う。私はこの試みは難しいのではないかと思った。親友同士心を通わせ合うのに、この動物を介在させるということと、ラストに不思議な夢の中のようなシーンが出てくるのは恣意的であり、物語の流れとしては観客は入り込みづらいと思う。(恣意性もまた演出だとは思うが)。
神がかった不思議な生き物を登場させるならば、もっと具象性を見せたほうがいいと思う。
筋書きとしては、どこが山場なのかよくわからなかった。私はてっきり、ストーカーが物語の鍵になるのかと思った。それほど前半のストーカーの影は不気味だった。そのストーカーがあっさり逮捕されたのは期待を悪い意味で裏切られた。
しかし、この監督はアニメなのに若者の人間関係が生々しく描ける作家であると思う。冒頭にも書いたが、若者は自分たちの日常のモデルを映画やドラマに求めることが多い。この作品のように、三人仲良しと女性との関係性など、若者の日常にありそうな関係だし、若者もそれを求めている。そのようなアニメで一番成功したのは、新海誠監督の『君の名は。』だと思う。新海誠も長井龍雪も若者に世界観を提供する作家で、今、四十五歳の私が高校生のときには宮崎駿が絵コンテを描いた『耳をすませば』があり、これは恋愛するふたりにフォーカスしすぎて、横の繋がり、つまり友達との友情という点では弱かったと思う。それは映画の善し悪しではなくて、描くべき世界観をどこに持ってくるかの作り手の志向だと思う。若者は大恋愛したいとも思うが、大恋愛はふたりだけの世界に陥りやすく、友情も大事にしたい若者は、長井や新海の描く世界観を好むのではないだろうか。

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