徒然エッセイ⑬映画や小説などを創ることについて
前澤友作という民間人なのに宇宙に行けるほどの金持ちが書いた「世界からお金をなくしたい」という記事の最後に映画を作りたいとあった。どんな映画を作りたいかは知らないが、世間で一般に公開されているような、観客を集める力のある映画だとしたら、相当難しいと思う。魅力ある映画とは製作費とは関係ないからだ。重要なのは彼に能力があるかどうかだ。
昔、スクエアという『ファイナルファンタジー』というゲームで有名な会社が、当時は珍しかったフルCGの映画『ファイナルファンタジー』というつまらん作品を作って大失敗した。その映画にはかなり金を掛けたはずだ。ゲームで超一流であるのは認めるが、ゲームの世界を映画にして成功させるのは難しいと思う。敵と戦いレベルアップしてさらに強い敵と戦いさらにレベルアップしてもっと強い敵と戦いもっとレベルアップしてという感覚では、ストーリー的につまらないのだ(あの映画はそういうものではなかったと記憶しているが)。また、その敵とか戦うとかいう世界観がつまらない。インターネット上で無料で読めるマンガやアマチュアが書いた小説にはそういう世界観で書かれた物がかなり多くある。ようするにオタクの世界観だ。私はオタクは嫌いだ。
前澤友作が映画を作りたいと言っているという話だった。
前澤友作は違うかもしれないが、ある世界で成功すると映画を作りたがったり、小説を書いてみたりする現象がある。お笑い芸人の世界にもそれがあり、北野武は映画で大成功を収めた。太田光も映画を作りたいと言っていたような気がする。内村光良も作っているがそんなに野心的ではないと思う。松本人志もいくつか映画を作っているが成功しているのか私は知らない。西野亮廣は『えんとつ町のプぺル』という絵本を描き成功し、映画化もした。私はこの映画を映画館で観たが、当時公開していて社会現象となっていた『鬼滅の刃無限列車編』よりも映画のカタチが出来ていて私はキメツよりプぺルが好きだ。西野はお笑いでも成功したが、絵本とアニメでも成功したと言えると思う。今後、どんな作品を彼が作るか面白く思う。
芸人には又吉直樹のように小説を書く人間がいる。又吉はいきなり『火花』で芥川賞受賞という大成功を収めた。私は『火花』と続く『劇場』を読んで、その世界観に好感を持った。下北沢で古着を買ったり演劇を観たりするようになったのも彼の影響かもしれない。しかし、三作目の『人間』はつまらなかった。文章にまとまりがなかった。しかし、『火花』も『劇場』も雰囲気で魅せるような作品で、私が好むハラハラドキドキのあるような物語の展開で魅せる作品ではない。又吉は物語の構成をもっと工夫して欲しいと思う。(と偉そうなことを書いている私だが、今まで小説の新人賞に応募して最高が一次選考通過なのだが・・・)。お笑い芸人はお笑いだけでは満足できないのだろうか?
芸人以外でも小説を書く異業種で成功を収めた人は多い。東浩紀や千葉雅也のような哲学者、社会学者の古市憲寿などはそのジャンルで成功者であるのになぜ異業種である小説を書くのか?千葉雅也と古市憲寿は何度か芥川賞にノミネートされている。古市の作品はひとつ読んだことがあるが、面白くなかった。千葉のものは読んでない。芸人はどうか知らないが、学者のような文章を書く人間にとって小説を書くというのは憧れなのだろうか?私には哲学論文は書けないし、社会学など門外漢だから知らない。小説ならば自信がある。とにかく出版社とのパイプが欲しい。だから新人賞に応募するのだが、受賞には未だ至っていない。以前、noteに投稿した『逆上がり』のレベルでは届かないのだ。そもそも私は『逆上がり』のような小説ではなく、アニメ『天空の城ラピュタ』のような冒険ファンタジーを書きたいのだ。実際書いている。もちろんアニメをそのまま小説にしてもカタチにならない。小説には小説の魅力がある。そういう意味ではイギリス人JKローリングの書いた『ハリーポッター』は脅威だ。冒険ファンタジーが小説のカタチであそこまで売れるのは奇跡だ。英語の作品だからというのもあるかもしれないが、もちろんそれだけが売れた理由ではあるまい。私には『ハリーポッター』ほど売れる作品を書く自信はないが、世界には出たいと思っている。世界の頂点に立ちたい。頂点が売れた部数のことなのか、ノーベル文学賞などのことなのかはわからない。とにかく世界の頂点へ。