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残秋の高草山。同じ山に何度も登る意味

今日、十二月三日、私は焼津市にある高草山に登った。
私の自宅は焼津市の隣、藤枝市にあり、この近辺で、最も気軽に登れて、最も景色の良いのがこの高草山だ。
標高五百メートルほどで、登山口から一時間で登れる。
私は休みの度に、気が向けば、登って、山頂で食事をし、降りてくる。
一年に何十回も登っていると思う。
飽きないのか、と問われれば、もうとっくに飽きているのである。
しかし、飽きているにも関わらず、登って後悔したことは一度もない。
登る前は面倒くさいと思いながら、登山口まで行き、初めのつづら折りを登るのが面倒で、早くつづら折りが終わらないかと思いながら登り、登り始めて十五分でつづら折りは終わる。そこで小休止する。それが毎度のパターンとなっている。
私はこの毎度登る登山道を文章で辿ることはできない。道を覚えていないのだ。ただ、行ってみると体が覚えているのである。
ここの登りが終わればこうなるだろう、というイメージができている。
しかし、全体の統一したイメージはできていない。しかし、迷ったことは一度もないので、気軽に登れるのである。
この登山道にはAコース、Bコースとあり、私はAコースしか登らない。Aコースにも沢コースと尾根コースがあるのだが、私は必ず尾根コースを登る。
飽きているならば変化をつければいいじゃないかと思われるかも知れないが、同じ道がいいのである。その繰り返しがいいのである。
もちろん、雪山に行く技術がないから冬は私はこの山にばかり登るのだが、夏も、連休でなければこの山に登ることが多い。この山で体力を維持し、日本アルプスなどの本番に備えるのである。
では、高草山は練習の場所なのか、というとそうでもなく、単純な繰り返しを楽しんでいるのである。
今日も、山頂でおにぎりふたつにラーメンを食べた。
いつもの繰り返しだが、繰り返しだからこそ、そこに待っている楽しみが予期できるので、山頂での過ごし方の明確なビジョンを持って登る。それでつまらなくないかと訊かれれば、つまらないのであるが、それでいいと思っている。
今日は山頂から富士山が見えた。

富士山

この山は西は焼津の平野が見下ろせ、東は静岡市街の向こうに富士山を見ることができる。私のいつも座るベンチにはテーブルもあり、それは富士山の方向を見るように据えられてある。
そこでストーブで湯を沸かし、ラーメンを作る。いつものことだ。
しかし、いつも美味いのである。

インスタントラーメン

独りで富士山を見ながら食べる冬のラーメンは格別である。
それが良くて登るのだろう。
では、飽きてないではないか、と言われそうだが、飽きているのである。
休日、朝起きて、晴れていたら、「さあ、どこかに行くか?どこにしよう?高草山だ」となるのである。そうすると、その日一日のイメージが明確になるのである。
写真を撮ってきて、パソコンに入れて、こうして文章を書くのがルーティーンである。
つまらない男である。
しかし、このつまらない日常があるから、昨年は剱岳に登れたし、今年はジャンダルムに登ることができた。つまらない日常の登山をやめてしまえば、大きな思い出はできないのである。

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