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「もう登山なんか嫌だ!」⇒「次はどこに登ろう?」(鏡平、笠ヶ岳)

私は先日、岐阜県の新穂高からテントの入ったザックを背負って、鏡平に向かって歩いていた。計画は鏡平山荘で一泊し、夕焼けに染まる槍ヶ岳が鏡池に映る姿を写真に収め、翌日は「天空の滑走路」などと呼ばれる双六岳に登り、そこから一度戻って、稜線を歩いて笠ヶ岳に行く、そこでテント泊して、三日目に笠新道という道を降りて再び新穂高に戻る、そういう計画だった。
しかし、初日はあいにくの雨。私は登山経験が少ないため色々な不都合にぶつかる。例えば、テントマットをザックのお尻につけているのだが、ザックカバーを掛けようとすると、テントマットの分ザックがはみ出てしまう。それと、ウエストポーチが濡れる、カッパの裾で隠れればいいのだが、私はウエストポーチを買うときも、カッパを買うときも、まったくそのことは考慮していなかった。これでひとつ経験が増えたというものだ。次回はその点を気をつけよう。テントマットもザックの中に収納できるエアマットにしようと決めた。
しかし、雨は上がったが、鏡平へ向かう小池新道はきつかった。私のテントはふたり用なので重かった。ソロ登山なのにふたり用である。これには理由があって、店頭でひとり用のテントと重さを比べても大差はなかったし、彼女が出来たり、友達などといく場合を考えてふたり用を買った。ひとりで過ごす場合の快適性も考えた。しかし、重い。水も三リットル持ってきた。それも重いのではないかと思った。この日は六時間歩いたのだが、私は十五分インターバル歩行を普段から行っていて、十五分歩いたらザックを降ろし水を飲んで一分小休止、呼吸が整ったら歩き出す、その繰り返しをしているのだが、この日は最初雨の林道歩きだったので、小休止はせず、途中のわさび平小屋まで歩いた。

そこで昼食のカレーを食べて、また歩き始めた。その頃には雨は小雨になっていた。しばらくはカッパを着たまま歩いたが、これ以上降ることはないように思われたので脱いだ。
小池新道は辛かった。いや、小池新道がと言うより、ふたり用のテントと、三リットルの水、食料、着替え、食事の器具などなどでずいぶん無駄のある荷物の内容だった。私は鏡平に到着一時間前くらいには、十五分インターバルではなく、十分歩いて、ザックを降ろし、しゃがみ込んで、水を飲む、というほどに疲れていた。その時思った。
「もう登山なんて嫌だ!家で小説を読んだり書いたりしている方がよかった!」

小池新道


本当に登山にうんざりしていた。
そして、なんとか、鏡池に到着すると、そこのベンチに腰を下ろし、鏡池の向こうにあるはずの槍ヶ岳を見た。雲で隠れて見えなかった。そこにひとりいたじいさんと話をした。


私は鏡平山荘に入り受付を済ませた。濡れた衣類を乾燥室に入れると、この山荘の名物と言われているコーヒーフロートを飲んだ。

外で飲んだが寒くて味は普通のコーヒーフロートだった。入っている氷がデカすぎて、溶けるのを待って飲もうかと思ったが、寒いので返却した。もったいないことだ。それから鏡池にもう一度行ったが、槍ヶ岳は見えなかった。私は山荘の布団に入って昼寝した。夕食は五時半からだった。

この日は台風のあとだったので、客が少なく、食堂に着いたのは私が一番乗りだった。ひとりで食べ始めたが、池で話したじいさんと、もうひとりのソロ登山のじいさんが私の向かいと隣に座った。そして、山の話に話題を咲かせた。なぜかコロッケが非常に美味く感じられた。いや、普通のコロッケに過ぎないという認識はあったが、それでも美味く感じられた。食後は少し談話室で雑誌など見て過ごしたが、それにも飽きて七時には就寝してしまった。翌朝、四時にアラームをセットした。
そして、四時のアラームが鳴ると、「もうちょっと」と思いながら、眠りを貪っていた。眠りながら考えた。昨日のきつさを考えれば、双六岳に行って戻ってきて、それから笠ヶ岳まで行くのは相当辛い。よし、双六岳往復はカットしよう、その代わり鏡池でじっくりと槍ヶ岳の向こうに昇る太陽と池に映る槍ヶ岳を見て過ごそう、そう思った。そして、起きて、仕度を済まし、小屋の用意したポットでお湯を汲んでインスタントコーヒーを作り、荷物を背負って鏡池のデッキに出た。そこには私しかいなかった。しばらく日が出るのを待ちながら、サンドイッチを食べコーヒーを飲んだ。次第に槍ヶ岳の背後の東の空が明るくなってくる。空が朱く染まる、それが湖面に映る、素晴らしい光景だった。

しかし、そんな景色に感動しながらも、私はもう登山はやめようと思っていた。
一時間以上そこにいた。太陽が昇り、景色が代わり映えしなくなると、私は出発した。
まずは稜線のゆみおれ乗越のっこしまで登った。そこから当初は北へ向かい双六岳に行く計画だったが、それはやめて南へ向かった。七時四十分のことだ。
そこからは長い稜線だった。やはり荷物が重かった。もう登山はやめよう、そんな思いが私を支配していた。それでも左側に見える、槍ヶ岳、穂高連峰を見るのは感慨があった。槍ももちろんいいのだが、私は一ヶ月前に登ったジャンダルムも見ていて特に感慨があった。

しかし、それらも当たり前のように見えていると、面白くなかった。私は九時半頃、秩父平に着いて、山荘でもらった弁当を石に腰掛けて食べた。よくあるのり弁と同じで、まあ、美味かった。そして、弁当を食べ終えてふと槍ヶ岳の方を見ると、雲に隠れて見えなかった。見えなくなると、見えていたときの贅沢がわかるのだった。

それから私は二時間半以上かけて、笠ヶ岳のテント場に着いた。いい場所があったのでテントを張り、小屋まで十分ほど歩いて幕営料を払った。受付で、水場がないことを告げられ、雨水(「天水」と言う)はひとり一リットルまで二百円で買えること、ペットボトルの水はひとり一本まで購入可能だと説明を受けた。私は前日の荷物の重さに苦しんだことを考え、天水はあとで一リットルも買えばいいだろうと思った。それから、小屋でラーメンを食べようか、ポカリスエットを買って飲もうかと迷った挙句、このあと笠ヶ岳に登るのであれば腹にたまるラーメンよりは体に染みこむポカリのほうがいいだろうと思い。ポカリを買った。受付の人の背後にある棚の常温のポカリをくれるのかと思ったら、カウンター内にある冷蔵庫からキンキンに冷えたやつを取り出してくれたので、それを飲むと、過去に飲んだポカリでも最上級の美味さだと思った。残りのポカリは山頂で飲もうと思って、そのまま、小屋を出て山頂へ向かった。


笠ヶ岳山頂からは霧で何も見えなかった。鏡平で話をしたじいさんとまた話をした。そして、最高のポカリを飲み干すと、私は小屋へ向かって降りた。降りる途中、私は自分がなぜ山に登るのか考えた。ひと月前にジャンダルムに登ってから、なにか成し遂げたような感じがして、今回の登山はしんどいだけみたいなイメージがあった。
私はなぜ山に登るのか?
風景を見てそれを写真に収めることか?では、収めた写真をどうするのか?noteを書くために登るのか?健康のためか?山頂に立つためか?山の上で食事をするためか?答えは出なかった。
とりあえず、小屋でラーメンを食べるかビールを買うかで迷っていた。もう午後二時である。ラーメンを食べた場合、夕食で自分で作る「ツナ缶のみそスープパスタ」を食べると食べ過ぎになるような気がした。ビールのつまみに持ってきたコンビーフも、いつ食べるかの思案の材料だった。夜か?しかし、結局、ビールを買ってテントに戻った。
テント前でビールを飲んでコンビーフを食べた。贅沢だなと思いながらも、まだ、自分がなぜ山に登るのかわからずにいた。


そのあと、テントに入って眠った。
四時半過ぎに起きて、テント前で夕食の仕度をした。以前、自宅ガレージで作った「ツナ缶みそスープパスタ」だ。我ながら上手くできたと思った。

パスタを水から茹でる
みそ汁の素投入
ツナ缶投入
完成
やっぱりもう一袋みそ汁の素投入

そして、石に腰掛けて食べていると、正面の霧が晴れ、槍ヶ岳が顔を出した。私のテンションは上がった。「おー、槍ヶ岳を見ながらの自作パスタ、最高だ」私は写真を撮り、食べ終えた器を槍ヶ岳背景に撮ったりした。

「こんな写真noteに掲載しても楽しいのは自分だけだろうな」などと思っていた。それでも、贅沢な気分は味わえた。なにしろあの重い荷物を背負って辿り着いた笠ヶ岳テント場である。
食後、小屋に登り、トイレを済ませると、天水一リットルを買った。翌朝のラーメンの水と笠新道下山を一リットル半ほどで済ませようと思った。なるべく軽くしようと思ったのだ。
テントに入り、すぐに就寝した。
翌朝、四時半頃、起きて外を見ると、槍ヶ岳穂高連峰がハッキリと見えた。私はテント前に出てラーメンを作った。槍穂高を見ながらの朝食はまた素晴らしかった。


周りではテントを撤収している人が何名かいた。私も食後、槍穂高を見つつ、テントを撤収した。テントは濡れていた。
小屋でウンコを済ませると、六時半、下山のため出発した。急登で悪名高い(?)笠新道を降りるのである。
降りながら思った。「これを登るのは相当辛いぞ」。
それでも登ってくる人はたくさんいた。
登山アプリ「ヤマップ」で見ると、笠新道登山口に到着するのは十一時五十四分の予想であった。しかし、途中で食事休憩すると、到着予想時刻は十二時二十四分だった。石がゴロゴロしている急な斜面を延々と下り続けた。

そして、ひとつ心配事が出てきた。水である。下山までに飲む水がギリギリ足りるかどうかなのだ。暑い日だったので、こまめに水分補給しないと熱中症になる可能性があった。飴をなめて誤魔化したりしたが、体は水を欲していた。十五分歩いて小休止して水を飲む、このペースで行くと登山口に着くまでに足りなくなりそうだった。私は熱中症になるかならないギリギリの状況を維持しようと思った。水が尽きて長い下りを歩かねばならない、それは死すら意識することだった。十一時四十五分に水を飲んだ。水はあと一回の水分補給の分しか残っていなかった。到着予想時刻は十二時十四分。私は歩くペースを上げていた。道も下の方になると、石がゴロゴロしているばかりではなく土の平らな道があったのでそこは急いだ。しかし、あと一回給水したら終わりだと思うと焦るばかりだった。急ぎすぎて捻挫をしたら元も子もないと思いもした。降りたら、十分ほど林道を遡るわさび平小屋でポカリを飲もうかなどとも思ったが、そういうことを考えると妄想ばかりが大きくなって歩行に集中できなくなるのでやめた。ただ、笠新道の登山口には水場がある。そこの水とザックの中に残っているメロンパンとピーナッツバターのパンを食べればわさび平に行く必要はないか、とも思ったが、それは下山してから考えようと、歩行に集中した。あと一回の水分補給で果たして登山口まで降りることが出来るのか?もう時刻は十二時を回っている。下から沢の音が聞こえる。小屋で会ったじいさんが言っていたが、沢の音は聞こえてもなかなかそこまで辿り着けない、そんな言葉を思い出していた。「ここからが勝負だ」そう思っていたら、視界の中に白い土の林道が現れ、水場が見えた。笠新道登山口だ。意外と早かった。私は最後のペットボトルに残った水を勝者の気持ちで飲み干すと、水場の水を汲んでガブガブと飲んだ。


「水!これがないと人間はすぐに死ぬんだよ」
心に余裕の出た私は石に腰掛け、メロンパンとピーナッツバターのパンを食べた。横に滾々こんこんと流れている水があるのはなんとも心強かった。
充分に休息を取ると、私は新穂高までの林道を歩き始めた。
今回の反省点はいろいろある。
まずは、重量である。これはひとり用のテントを買うことでかなり軽減できると思った。それからザックカバーに入りきれないテントマットはエアマットを買ってザックの中に入れてしまえばいいと思った。ウエストポーチが濡れるという件は、カッパは値の張るものを買ったばかりなので、カッパを買い換えるつもりはなく、ではウエストポーチを換えるか、そこは検討する余地はあるが、とりあえずウエストポーチに入っている余分なものを減らすことを考えようと思った。
このような反省点を考えながら、私は次の登山のことを考えていた。

テント撤収後の荷物と自分の影
朝日に染まる笠ヶ岳

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