『空中都市アルカディア』18

二、護衛官ライオス

アルカディアには最高権力者が三人いる。

 行政長官。

 立法長官。

 司法長官。

 いわゆる三権分立だ。

 行政長官は実際の世界政府の行政の最高位である。行政府はその中枢がアルカディア上部の自由市民と学生、その他関係者しか入れない聖域にあり、そこで賄いきれない業務は下部の高層ビルのいくつかの中で行われている。その官僚たちのほとんどはアカデメイア出身の三十歳までに自由市民になれなかった者たちだ。

 立法長官は立法府の長で、立法行為はすべてアゴラに自由市民を集めて行う。ここにアルカディア自由市民の直接民主制がある。これに参加できるかできないかが、自由市民の資格において一番重要な点だ。

 司法長官は行政がきちんと法律に従って行われているかを監視し、立法府が憲法に反する法律を作ろうとしていないか監視する役がある。また、住民の裁判を司る。裁判はアゴラで行われる。

 これら三人の長官はもちろん自由市民の中から選ばれる。この三人には護衛官が付く。

 シロンがアゴラで行われたアカデメイア入学式に臨んだ時に、それぞれの長官が挨拶に立った。

 行政長官オクティスが演説台に立った。彼は五十代の黒い髪と髭を蓄えた壮健な男性で旧世界の古代ギリシャ風の白い服を着ていた。シロンはその演説を聴いている途中で目を見張った。行政長官オクティスの背後にいる護衛官数名の中にライオスの姿があったからだ。ライオスは四年前のオリンピアの祭典においてホバークラッシュで優勝しアルカディア行きを決めた。当然、アルカディアでは仕事に就かねばならない。就いた仕事が行政長官の護衛官なのだ。ライオスはワインレッドのベレー帽を被り長い金髪を後ろで縛りポニーテールにして、ゆったりとした白いブラウスを着ていた。ブラウスの裾の上から腰ベルトが締められ、脚にぴったりとした白いタイツを穿いている。腰には木刀を差している。左手はエンジ色のホバーボードを立てて支えている。ホバークラッシュは武力になる。それゆえにライオスはこういう仕事に就いたのだろう。シロンはあとでライオスに会いに行くことに決めた。

 行政長官オクティスの次に演説台に立ったのは立法長官シマクレスという美貌の若い男性だった。背が高く、金髪を七三に分け、青い瞳、白い肌を持っていた。シロンは再び目を見張った。このシマクレスという男が、カルスの姉ミレネが持っていたペンダントのロケットにある写真の男だったからだ。この立法長官という最高権力者のひとりとなった男がじつは過去にひとりの女を流産させ気を狂わせて不幸にしたのだ。そんなスキャンダルのある男が立法長官なのだ。

 旧世界の古代ギリシャ風の白い服を着たシマクレスは演説する。

「アカデメイア新入生の諸君。君たちは大変なエリートだ。下界の愚者たちとは違う。アルカディアは愚者を排除し、人格の高潔な者のみが住むことを許された楽園である。その楽園の住人の一員として心を引き締めていてもらいたい。絶対に愚かなことはしてはいけない。そして、自由市民になって、わたしたちと共に世界を統率しよう。まず、アルカディアを本当の楽園にし、将来は下界すら楽園にする。わたしは、立法長官としてではなく、一市民としてその志を持ち続けてきた。諸君もわたしの理想実現の協力者となるためにアカデメイアで学ぶことをわたしは期待している。入学おめでとう」

シマクレスの演説が終わるとシロンは三度みたび目を見張った。シマクレスの後ろの護衛官の中にアイリスの姿があったからだ。アイリスはアカデメイアの学生としてアルカディアに上がった。順調にいけばこの夏に卒業しアルカディア自由市民になったはずだ。なぜ、そのアイリスがシマクレスの護衛官の中に?いや、アイリスは護衛官になるような武力を持っていないはずだ。古代ギリシャ風の白いワンピースを着ているので、他の護衛官の制服と違うから護衛官でないのはわかる。では、なぜシマクレスと共にいるのだ?シロンの頭は混乱した。アイリス、シマクレス、カルスの姉ミレネ・・・どういう関係だろう。シマクレスは間違いなくあの写真の男だ。だが、実際の人物は見目好く、頭がよさそうで、高潔な雰囲気が漂っている。完璧な紳士に見えた。その紳士が演説台を降り、護衛官とアイリスを連れて退出する姿をシロンは見送った。

 そのあと、シロンはライオスの所へ行こうと思ったが、すでにライオスの姿は行政長官オクティスと共にアゴラから消えていた。

 

 

 その次の日の朝、シロンがキングサイズのベッドで眠りをむさぼっていると、ドアをノックする音がした。

 シロンは目覚まし時計を見た。七時だ。

「誰だよ。まだ眠らせてくれよ。まだ大学は始まらないはずだろ?」

そんな独り言を言いながらパジャマのままドアを開けると、外にいたのはライオスだった。

「ライオス!」

シロンは喜びのために完全に目が覚めた。ライオスは白い護衛官の服ではなく、私服の白いシャツとジーパンでスニーカーを履いている。そのライオスは言った。

「俺、今日は非番なんだ。昨日の入学式でオクティスの護衛をしながらアゴラを見渡していたらおまえがいるんだもんな。そうか、受かったのか、って俺は嬉しかったよ」

シロンも笑顔で言った。
「え?おまえ気づいていたのか?そうは見えなかったぞ」

「そう見せないのが護衛官だ。仕事中は」

「そうか、もう働いてるんだな」

「ああ、学生じゃないんだ」

シロンは言った。
「と言うことは、今年ホバークラッシュで優勝したカルスも護衛官になるのか?」

ライオスは答えた。
「さあ、それは行政府の決めることだから。そうか、カルスがアルカディアに上がったんだな。この倫理に厳しい島に」

「カルスはどこにいるんだ?」

ライオスは答えた。
「たぶん、下部のボードパークの近くのビルだ。俺の住居もそこにある。ホバーボードで上がった者が集まる場所だ。でも、なんでカルスをそんなに気にするんだ?アイリスを気にするならまだわかるけど」

「ああ、そうだ、アイリスはあのシマクレスとかいう奴の何なんだ?」

「婚約者だ」

シロンは言葉を失った。ライオスは言った。

「あのシマクレスという人は、素晴らしい人格者だ。頭もいい。非の打ち所がない。アイリスはいい人を見つけたと思うよ」

シロンは言った。
「本当にそう思うか?ライオス、あの男は・・・」

シロンは口を閉ざした。そして言った。
「ライオスはアイリスのことをどう思う?惚れてたわけじゃないのか?」

ライオスは笑った。
「シロン、おまえこそアイリスに惚れてたんだろ?」

「ん」
シロンは言った。
「ああ、惚れていた。四年前、アイリスとおまえがアルカディアに昇った後気づいた。俺はアイリスに惚れている。アルカディアにはアイリスがいると思うからこそ四年間受験勉強を頑張れた。俺はアイリスと結婚したい。アイリスが婚約している?嘘だろ?」

ライオスは頷いた。
「俺もアイリスに惚れていたかもしれない。でも、シマクレスという人は完璧な人だ。俺たちなんかじゃ太刀打ちできないぜ。シロン、アイリスは諦めるんだな」

シロンは俯いた。

ライオスは茶色の瞳の目を細めて笑った。
「朝飯食ったか?下部に景色のいい喫茶店があるんだ。モーニングコーヒーでもどうだ?」

シロンは急に話題を変えられわけがわからなくなったが、笑って答えた。
「おお、いいな。じゃあ、着替えてくる」

シロンはパジャマからジーパンと白いティシャツに着替えてスニーカーを履いて外へ出た。

「ライオス、これ」
シロンは封筒を渡した。

「なんだ、これ?」

「マリシカからの手紙、ラブレターだ」

「マリシカから?あ、ああ、ありがとう」

ライオスは封筒をズボンのポケットに入れると、こう言った。
「ホバーボードは持って来たか?」

「ああ、もちろん」
とシロンは答えて黄色のホバーボードを部屋の中から出した。

ライオスは言った。
「今から行く喫茶店は下部の端のほうにある。ちょっと遠いからそこまでの道をホバーボードで行く。下界を見ながらのコーヒーは格別だぜ」

「おう」

ふたりはパンテオンの螺旋の坂道を下り、下部の広場に出た。ホバーボードに乗り、〇の表示がある入り口からホバーボード、ホバーバイク専用の薄桃色の道に入って東へ向かった。逆さまの黒い高層ビルの間を行く。正面からビルの谷間を差す光が見える。道幅は広く、両側には透明の高い壁がある。道は一方通行で、ビルから出る小道から通りに出るには同じ方向にしばらく平行に走りやがて合流する。まさにハイウェイだ。高度一万メートルの空の上にあるハイウェイ。やがてふたりは下部都市の東の端にある、上の地面に貼りつくようにぶら下がっている喫茶店に着いた。ふたりは店の入り口にホバーボードを立てかけて店に入った。そして、壁面全体がガラス張りの窓際の席に着いた。他にも朝食を摂る客がたくさんいた。シロンとライオスはモーニングセットを注文した。

「あれはトルコか?」
海の東側に広がる大地を見てシロンが言った。

ライオスも言った。
「ああ、旧世界ではトルコは半島だったらしいよな」

「うん、大変動ってのもよくわからないよな。大地がすべて海に没するなんて」

「まあ、古代の伝承だからな。実際の所はよくわからないけど、とにかくそれに類する人類滅亡の危機があってアルカディアに人類は逃れた、そんなところだろう」

「そのあたりの詳しい歴史もアカデメイアでは学べるのかな?」

シロンがそう言うとライオスは言った。

「俺はアカデメイアの学生じゃないけど、聞くところによるとユラトン教授っていうじいさんがその辺の研究の第一人者だというぜ」

「ユラトン教授・・・ふ~ん」

ウェイターがコーヒーとトーストとゆで卵とサラダを持って来た。

ふたりはコーヒーを飲んだ。シロンは一口コーヒーを飲んだだけで大きな声を上げた。

「う、うまい!なんて美味しいコーヒーなんだ」

ライオスは笑った。
「そりゃ、世界一のバリスタのコーヒーだからな」

シロンは笑った。
「そうか、ここはアルカディア、すべてが一流ってわけか」

「おまえ、昨日は何を食ったの?」

「部屋でパスタを食べたよ。やっぱ、一人暮らしなら自炊をしないとと思って」

「パスタは美味かったか?」

「美味かったけど、やっぱ材料がいいだけか、料理するのが俺じゃダメか」

ライオスは笑った。
「アルカディアでは外食するのがいいぜ。みんな一流の料理人ばかりだ」

シロンはトーストにバターを塗って食べ、ゆで卵に塩を振って食べ、サラダにドレッシングをかけて食べた。どれも今まで食べた喫茶店の味を超えていたので驚嘆した。

 しばらく景色を楽しみながらシロンとライオスは話をした。シロンはカルスの姉とシマクレスのことを言いたかったが、言える雰囲気ではなかった。ライオスは護衛官としてアルカディアの秩序を保つことに誇りを感じていると話し、行政長官のオクティスや立法長官の若きシマクレスを尊敬していると言ったからだ。シロンはあるいはシマクレスがカルスの姉ミレネを妊娠させたとか毒を飲ませたとかそちらの話のほうが眉唾物かとさえ疑った。ただ、ライオスにシロンはこう聞いてみた。

「ライオス、おまえはこのアルカディアは理想郷だと思うか?」

ライオスは笑った。
「なにを言ってんだよ。そう思うから、みんな一生懸命頑張ってオリンピアの祭典でメダリストになったりアカデメイアの試験に合格したりするんじゃないか。わかりきったことを言うなよ」

「そうか、そうだよな」

「ところでさ」
ライオスは笑顔で話題を変えた。
「今から、ボードパークに行かないか?アルカディア下部のボードパークはすごいぜ」

「おう、いいな」
シロンも笑顔になった。




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