見出し画像

芸術のテーマが芸術自体になってしまった現代。『君たちはどう生きるか』宮崎駿から

私は最近、宮崎駿のアニメ映画『君たちはどう生きるか』について書いている。
この映画は、アニメ作り、アニメに人生を捧げた宮崎駿自身がテーマになっている。
ここで『君たちはどう生きるか』については詳述しないことにする。
しかし、私はこの芸術自体が芸術のテーマになるという現象が、アニメの最高峰と思われる宮崎駿にまで波及してしまったことに危機感を覚えている。
特に文学と美術は、表現自体がテーマになっている。
デュシャンの『泉』は便器を逆さまにしてサインした物に過ぎない。鑑賞者は「これがアートなの?」と思ってしまう。
アートとは何か?
それがアートのテーマとしては魅力があるが、しかし、それはメタアートであって、本来のアートではない。
絵画ならば、なにか鑑賞者の心を動かすものが良い絵画であるのが基本であるはずだ。それが、「え?これが絵画なの?」と思わせているようではダメだと思う。絵画は美しさを求めるのが基本だと私は考えている。
映画も観客の心を感動させる物がいい映画だと思う。その感動とは「あ~、楽しかった」という娯楽を満喫して幸せになる類いでもいい。
宮崎駿の昔のアニメには、楽しませ感じさせるすべてが揃っていた。しかし、『君たちはどう生きるか』は楽しませもしないし、感動させもしない。私のような現在六回も観ているマニアぐらいしか、その映画に込められた意図を読み解こうとする者はいないだろう。映画はまず初見で面白くなければダメなのである。初見で面白くて、二回三回と観させるものが優れた映画であると思う。『君たちはどう生きるか』の初見はつまらなかった。この映画では、宮崎駿はアニメ作りに否定的な思いを込めているような気がする。アニメは現実ではない。『となりのトトロ』は子供たちに里山を愛して欲しくて作ったのであって、家に籠もって何度も『トトロ』のビデオを観て現実逃避させる場所を作ったのではない。このことに宮崎駿は非常に責任を感じていたようだ。たしかに冒険好きな私もラピュタが実在しない現実をつまらないと思っていた少年時代がある。最近は登山をするようになって、現実の冒険の素晴らしさはアニメにはないということにようやく気づいた。
小説も、マンガも、映画も、アニメも、美術も、その他芸術も、それぞれのジャンルに誠実になるべきではないかと思う。
小説はテーマの深さと物語の筋の面白さが備わって、ようやく素晴らしい小説となる。難解でつまらない物はどんなに作者が偉大な作家とされていても、読むに値しないかもしれない。それは読者が自分を信じて拒否していいと思う。名作とされているから読まなければ、などと思わなくてもいいと思う。ちなみに私はプルーストの『失われた時を求めて』は途中でやめた。ジョイスの『フィネガンズ・ウェイク』も意味がわからないので一行読んでやめた。意味がわからないからと言って私がバカだとは考えない。読書は人生の貴重な時間を使う。つまらないと思う物に、大事な時間を割くべきではない。
絵画は美しく、映画はわかりやすく面白く感動でき、マンガは夢中にさせてくれ、小説は充実した読書時間を与えてくれる物が良い。
芸術は哲学ではない。
哲学的美学的な前衛芸術を芸術の王様にしないで欲しい。
後世に残る芸術作品は芸術の発展史の流れに乗った物では必ずしもなく、その時代に多くの人を惹きつけた物で後世の人々が鑑賞しても良い時間を過ごせる物こそが価値ある芸術作品だと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?