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Re: 【短編小説】ダイヤルアップ脳天砕
グラスの中の氷はとっくに溶けてなくなっていた。
それでも最後のひと口を飲めずに手の中で弄んでいる。
昔話が途切れたあたりで、遠慮の塊を見ながら訊いた。
「そう言えばさ、次の仕事って決まってるの」
元同僚は笑いながら
「芸能人のツイッターをバズらせる仕事」
と言って、皿の上で畏まっていた唐揚げを口に放り込んだ。
「そんな仕事あんの?」
「往年のプロレスラーが誤変換ツイートで万バズを稼いでたの覚えてる?そう言うコンサルだよ」
「あぁ……」
咄嗟になにも言えず中途半端な愛想笑いを返すと、元同僚は少し悲しそうに笑った。
華々しいとは言えない世界を想像して、弄んでいたグラスの中の液体を飲み干した。
二次会のオールカラオケに行く、と言う若い連中と別れて電車に乗る。
金曜日の夜。終電前。
今週の疲労と明日明後日の安寧、または不安。何にせよベタベタした車内で、殆どの人間がスマホを覗いている。
インターネットには嘘しかない。
ネットDe真実などと揶揄する向きは昔からあったが、今は特に酷い。
それも自分がインターネット老人になったと言う事だろうし、インターネット視野狭窄を起こしているか、インターネット近視になっているって事でもある。
何にせよインターネット成人病だとかインターネット更年期障害なのかも知れない。
「いくら天然キャラのプロレスラーとかアイドルだってそんな馬鹿みたいなミスをしないわよね」
妻がいささか冷めた目で見ているのは酔ったおれか、元同僚か。
「そのプロレスラーならもしかしたらあり得るかも知れないと“多くの”人間に思わせるツイートを創作する、そういう仕事もあるんだな」
それで株式会社が成立するんだから凄い話だ。株式ってなんだ?と思うよなと言うと、
「それは働いてない私に対する厭味?」
妻は拗ねて目つきを鋭くした。
言ってないことを読み取るなよ、それは行間とかじゃないぜと何度言っても直らない悪癖をスルーして続ける。
「虚業って言う表現では生温い、現代の地獄や煉獄に似た煌めきの深淵を覗いた気がしない?
そこそこの大学を出た優秀な人たちがさ、公国代理店みたいな奴らだとしても、幾つもの嘘を提示してコンペティションにかける訳だろ?
それで選り抜かれた嘘が現実として放たれて、瞬く間に現実として拡散されていくわけだ」
妻が鼻を鳴らす。
嘘を嘘と見抜けないひとにインターネットを使うのは難しいと言うけれど、100億回も見られた嘘は本当になってしまう。
背筋が冷たくなる。
昔はテレビや新聞が嘘ばかりで、インターネットには真実があると言われていた。
有志が持ち込んだ真実で構成される、明るい世界のはずだった。
でもそうはならなかった。
「みんなが日常的にネット使うからってこと?」
「捉え方の多様性すら本質を見るのは難しいからな」
テレビや新聞の方がまだマシだよ、テレビや新聞が謳うのは現実から作り上げられた偏りのある現実だからね。
それを聞いた妻は、また鼻を鳴らして「インターネットは嘘、ってこと?」と物事の単純化を図った。
「まぁ嘘しかないとは言わないけど、虚無から作り上げられた悪意ある嘘が多いよな。
社会的思想とかに裏打ちされない、個人的なやつ。
瞬間芸だよ、思考の上書きを続ける不純物100%の嘘。
自己顕示と承認欲求の塊でしかない嘘」
「それでもバズって有名になるなら良くない?
動物の転載動画とか、インターネットにある面白い話、良い話、感動する話、胸のすくような思いをする話も悲しい話も全てが嘘でもいいじゃん」
そう言うもんかね、と呟くと「働いてるアンタには分からないわ」と言われた。
なら働けよ、と言えばまた面倒な拗ね方をする。理解のある彼クンそのものみたいな顔をして
「自分だって万バズしたことあるだろ」
おれはないんだよ、と言って風呂場に入った。
もうインターネットが手の中にある段階では、インターネットそのものは問題にならない。
なにが問題なのかと言えば、インターネットに接続しているみんなが、インターネットで目にする嘘を嘘と見抜いた上で楽しんでいるのか?と言うことだ。
それともその嘘なんてのはどうでも良いと思って、現実のことだとしているのか?
「京都人の厭味を待ち受けるか、裏の意味を正しく理解するか」
排水口に流れていく泡を見ながら、少しくらいは妻を殴ってしつけなきゃならないなと思った。
インターネットで信じられるのは事件や事故ばかりだ。
事件や事故は真実だ。
少年の闘争、ヤクザの襲撃、半グレの暴行、坊主の脱税、牧師の薬物監禁、不正会計疑惑のNPO団体。
おれを満たしてくれるインターネットはそういったものだけだった。
そうやってインターネットに接続して社会の老廃物を摂取し続ける。
きっとおれの死因はインターネット脳梗塞か脳溢血だろう。
はやくインターネットをやめなければならない。
だがもう、切って首を括る回線すら無いのだ。
首に巻いたシャワーホースは、静かに脈打っている。
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