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『デロリンマン』とラ・ロシュフコー

恥ずかしながら、マンガ家・ジョージ秋山先生の著作を読んだことがなかった。『銭ゲバ』『アシュラ』等の前衛的で衝撃的な作風のことは知っていたが、たまたま巡り会えなかった。

ジョージ先生の訃報が発表されたのが今年の6月1日。そのニュースを受けて、なんとなくツイッターのトレンドを追っているうちに、「もしかしてすごく面白いんじゃないの…!?」という気持ちになった。

まず目に触れたのは、『ザ・ムーン』。

資産家の魔魔男爵が作った(作らせた)スーパーロボット、ザ・ムーンの操縦方法は、9人の少年少女が一心に般若心経を唱えることだった!
こんなに斬新な作品が、既に約50年前に存在していた。ロボットアニメやマンガには詳しいつもりでいただけに、己の無知蒙昧さがショックだった。

そして、鬼頭莫宏さんの『ぼくらの』がこの『ザ・ムーン』のオマージュであることも知ったので、3巻まで読んだ。これはまた次の機会に。

次に目についたのは、『デロリンマン』。

飛び降り自殺に失敗した男は顔と頭を損ない、『魂のふるさと・デロリンマン』と名乗って愛と正義のために活動を始めた。しかし般若のように成り果てた顔と残念になった頭のせいで世間の偏見を受け、街の子供たちにからかわれ、バカにされる毎日。妻子からも気づいてもらえないデロリンマンだが、今日も愛の尊さを説くのだった――。

正直今読めば障害者や精神疾患者への偏見やヘイトに満ちた作品である。しかし、それだけでは終わらない。デロリンマンとオロカメンの問答に、わたしは強く惹きつけられた。

オロカメンはヘルメット状の仮面をかぶり、目から常に涙を流しているように見える。筋肉少女帯のアルバムのジャケットに用いられたのが有名だ。

愛と正義の不滅を信じるデロリンマンの前に現れ、「力なき正義は無意味だ」と喝破するオロカメンは、どうやらデロリンマンにしか見えていない。このオロカメンが、次々と名言を発するのだ。

だれしも幽霊についてかたるが
幽霊を見たものはいないように
だれしも愛についてかたるが愛を見たものはない
いかにおまえが魂のふるさとであろうが
人間はうつくしいものしか愛さない
たとえそれが毒をもった花であろうとうつくしければ愛す
人間は心がみにくくともすがたや顔がうつくしければ愛される

痺れる!徹底的なニヒリズムとルッキズム!

わたしはしばらくオロカメンに魅了された。調べていくうちに、『だれしも幽霊に~』という言葉には元ネタがあるらしいことを知った。

ラ・ロシュフコーの『箴言集』である。なんとなく名前を聞いたことはあったが、きちんと認識したのは初めてだった。早速買った。
くだんの言葉は、こう訳されていた。

ほんとうの恋は幽霊と同じで、誰もがその話をするが見た人はほとんどいない

『愛』が『恋』になっていると、少し印象が変わる。これが原文の逐語訳なのか訳者のアレンジなのかはわからない。講談社学術文庫からも違う訳で出ているので、今度確認してみたい。

そして更に無知を晒す。
『デロリンマン』の『デロリン』という言葉を、不勉強にして聞いたことがなかった。デロリンマンの顔がでろでろに溶けているからだろうか…などと適当に脳内で処理していたのだが、やはり語源はきちんとあった。

『デロレン祭文』を語る際の「デロレン、デロレン」というかけ声は、時に「デロリン」とも聞こえる。
このことを知ったのは、この本からだ。

『デロレン祭文』のことが出てくる中勘助『銀の匙』の評判はとてもよく聞くので、今度読んでみることにする。いい歳をこいて、読んでない名著名作が多すぎる。不勉強を反省し、虚心坦懐に己と向き合いたい。

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