マレーシア版ロミオとジュリエット。~多文化社会の夢と理想とリアルな現実。
2004年のマレーシア映画です。Ah Loongは19歳、中国系マレーシア青年である。Ah Loongは北京語を話し、マレーシア第二の都市Ipohでギャングに属し、命懸けの抗争に明け暮れながら、ヒジャブ姿の女たちであふれる雑踏のなか、海賊版の映画VCDを屋台で売りさばいている。
ある日Ah Loongの屋台に、マレー系の中産階級のお嬢さん、16歳のOrkedが現れ、Wong Kar-Waiの映画を求める。Orked はマレー語と英語で育ちながらも、香港映画好きゆえ中国語もカタコトながら話せる。またいまどきのマレー少女ゆえヒジャブこそ巻いていないものの、彼女はマレーシアの伝統的衣服baju kurungを着ています。Orkedが求めたのは『恋する惑星』だろう。Orked は金城武が大好きなのだ。この瞬間Ah LoongはOrkedに一目惚れ。
Ah Loongは、中国名の小狼(Syaoran)をもじってJason という名前を名乗っている。かれはビリヤード場やナイトクラブを仕切るギャングの一味であり、ヤクザな暮らしをしていながらも、詩を書くことが大好きな不治のロマンティストで、いわばスラム街のロミオだ。
Ah LoongとOrkedはデートを重ねるようになる。中華系のファストフード・レストランで食事をし、撮影スタジオで2ショットを撮って、公園のデートでは土砂降りにあう。なお、Ipohの街もまたマレー人の住むムスリム街区を中心に、中国人街区、南インドが多く暮らすインド人街区があって、多民族共生とはいえしかしそれぞれの暮らしはそうとう分離しています。それはそうでしょう、マレー人のほとんどはムスリムで1日5回メッカに向かって礼拝するし、豚肉も食べない。他方、中国人はほぼ無宗教で豚肉大好き。はたまたインド人は大胆不敵な神様ぞろいの多神教で、ほぼ牛肉を食べない。そもそもしゃべる言語が違うゆえ、おたがいになにをしゃべってるのかわからない。自分がどんな言われようをしているかもわからない。おたがいに疑心暗鬼になったとしても不思議はありません。
(ただし、ではマレーシア文化がもっぱら民族ごとに分離しているばかりかと言えばそうでもありません。たとえばマレーシア料理を見ればわかるとおり、中華料理由来のやきそばに目玉焼きを乗せたり、ココナツミルクベースのチキンカレーにはインド料理の影響があるなど、いかにもマレーシアらしい文化的な混交もまたあって。ただし、そんな料理を食べるマレーシア人はそれぞれ自分の出自にアイデンテイティを持っていて、なかなかまとまらない。)
ところが、いったん生まれたふたりの異文化間の恋愛は誰にも止められない。ふたりの心は会うたびに近づいていく。
Jasonの親友、同じく中華系のキョンは、最初はマレー人のオーキッドを嫌っていた、そもそもマレー娘はほとんどがムスリムでもあるゆえ視野の外なのだ。ところがOrkred は映画をつうじてちょっぴり広東語も話せるし、香港映画が大好き、あっというまに気が合って仲良くなって、ジェイソンが彼女を盗られるんじゃないかとやきもきするほど。こうして三人は仲良くなる。
ところが実はJasonには裏社会で公認の恋人がいて、それは元締めのJimmyの妹、Maggyだった。しかし、JasonはもはやMaggyのことなど眼中にない。これが後に厄介事を引き起こすのだけれど、しかしもはやどうしようもない、JasonはOrkedに夢中だから。しかもふたりに遺された時間は少ない。なぜならOrkedは英国留学を間近に控えているから。
この作品は異文化間の恋愛の楽観的な夢物語を描きつつも、しかし同時に多文化主義社会と階級格差がもたらすさまざまな生々しい衝突を描くことも忘れない。この映画がマレーシアで公開されてはや20年が経った。いまや香港には『恋する惑星』のみずみずしい自由はかけらもない。現在のマレーシアのマレー系、中華系、インド系の若者たちはどんな恋愛をしているだろう?
Yasmin Ahmad監督 (1958 - 2009年)『細い目 SEPET / CHINESE EYE』(2004)
Sam Hui