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想像の世界で動く

私達は「考える」というと、どのようなイメージを持っているでしょうか?多くの人は

学校で、または宿題の問題を考える
特に数学の問題を考える

という感じが多いのではと思います。

しかしながら、数学などの問題は

足し算やかけ算など
決められたルールの上で
記号を使って解く

と言う形で、合理的に解いています。

しかし、このような『うまくできた舞台』で考えることが、全てでしょうか。私達が、仕事の上で考える時、例えば

我が社の製品をお客様に受け入れて貰える為には

というような問題では

お客様の気持ち

等の曖昧なモノを考える必要があります。

ここで、もう少し『考える』と言うことを観てみましょう。

考える全体図

上の図は、大乗仏教の唯識などの発想を参考に作りました。この主旨は、私達が思う『考える』は、上部の『意識の世界』での『記号的論理』の部分でしかない、と言うことです。

しかしながら、人間が考える場合には、最初は

体験するまたは体験を思い出す
それができなければ想像する

から始まります。例えば、論理思考の代表である、幾何学について思い出しましょう。図形の『合同』という『便利な道具』は、以下のようにして身につきました。

  1. 手を動かし自分で図形を描く

  2. その図形を動かして重ねて同じと知る

  3. 実際に描かなくても空想の絵を動かし重ねる

  4. そこで重なる条件を『三角形の各辺が同じ』などのルール化

と言う風に、抽象的な概念を作り出す前には、具体的なモノ、それを想像したモノが、動く世界があります。これを忘れている人が多いのです。

さて、物理学や数学なら、こうした理論の世界がしっかりしているので

理論的な検討での見通し

が、十分良い見通しを与えてくれます。

しかしながら、人文科学や社会科学では、まだ理論が完全に独り立ちしていません。

例えば、ある会社の管理職が、部下の動機付けについて、考えるとします。以下のような項目が出てくるでしょう。

  • 契約書の通りで作業させる

  • 給与や報奨金で報いる

  • お客様との人間関係などで責任を持たせる

等が出てきます。確かにアメリカ的な雇用なら

「契約書通り、従わないなら出て行け」

と言うやり方でしょう。しかし、日本的な雇用では、このような単純な割り切りはできない場合が多いですね。これを、心ある管理者なら

一人一人に向き合う動機付け

を行います。給与を重視、人間関係を重視、競争を重視、そして自分のスキルアップなど、人にはそれぞれの価値観があります。それを観た組織の状況を考える。こうしたきめ細かさが、現実的な仕事には必要です。

なお、このようなモノを動かす検討は、意識的に行われるとは限りません。幾何学の場合でも、公理からキチンと論証しているように見えても、図形の動きを無意識で行っていることがあります。このような場合は、あまり問題ないのですが、先ほどの動機付けの事例などでは

契約で命令すればよい

と、割り切って考えているような場合にも

無意識のイメージで反発

と言う場合があります。この場合

言葉に出ない不安や不満

が私達の心と体をむしばみます。

こうした

想像の世界での動き

の大切さをもう一度見直すべきでしょう。






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