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金剛界曼荼羅が教える仏の智慧の実現
このnoteで何度か書きましたが、大乗仏教と西洋文明の大きな違いは
・西洋文明は抽象化して一般法則を見いだす
・大乗仏教は多様な現実に対応する仏の智慧を体現する
です。この違いは、西洋文明に慣れていると、見過ごしてしまいます。例えば
新型コロナ感染者数XX人
と言う
数字だけ
で、何となく危ないとか、よくなっていると、考えます。しかしながら
感染した人の一人一人に事情がある
のです。これを数値で考える、更に言えば平均値で考える、これが
科学的な思考法
だと私達は考えて
数字で証拠を出せ
などと言っています。仏の教えは、このような数値化をせずに、一つ一つの話を積み上げます。例えば、永遠の時間を
天人の衣が岩を擦り、それで岩が亡くなるまでの時間
と言う風に表現します。
さて、このような無数への対応ができる、仏の智慧はどのようなモノでしょう。
私は、金剛界曼荼羅に一つの答えを見ました。
金剛界曼荼羅は九つの部分からなり、九会曼荼羅とも言います。その中でも中央の『成身会』が根本的な教えを伝えています。
成身会は
中央 法界体性智を表す大日如来
東に 大円鏡智を表す阿閦如来
南に 平等性智を表す宝生如来
西に 妙観察智を表す無量寿如来
北に 成所作智を表す不空成就如来
という五つの月輪で構成されています。つまり、総てを見る大日如来の智慧を、総てを蔵のように蓄え活用する大円鏡智、自らと同様に他人や物にまでも仏の智慧を認める平等性智、意識の上で真実を考える妙観察智、そして現実世界で人々を救う成所作智を、阿閦如来、宝生如来、無量寿如来そして不空成就如来で表現しています。
さて、曼荼羅の素晴らしいのは、このような象徴的な表現を、更に具体的な方向に向かって、添加している点です。各如来には、それぞれ四菩薩が描かれていて、これを十六大菩薩と言います。
阿閦如来の回りには
金剛薩埵・・・・菩提心を堅固にする
金剛王菩薩・・・菩提心を起こす
金剛愛菩薩・・・菩提心を清浄にする
金剛喜菩薩・・・菩提心を以て衆生を成熟する
です。これは、私達の無意識の底にある、菩提心に気がつき、それをきちんと護り清浄にする。これで、衆生を仏の道に入れる、という想いです。
宝生如来の回りには
金剛宝菩薩・・・仏に礼敬する
金剛光菩薩・・・仏に随喜する
金剛幢菩薩・・・仏に奉仕する
金剛笑菩薩・・・仏に廻向する
です。これは素直に、自分以外の『宝』である、仏や菩薩を拝むと、『光』を頂き、それに随喜して、『幢』を捧げ奉仕する。こうした、うれしさは自然に『笑』となり、皆にも及ぼす廻向となる、と解ります。
無量寿如来の回りには
金剛法菩薩・・・諸法は自性として清浄とする
金剛利菩薩・・・一切の苦を断除する
金剛因菩薩・・・正法を得る
金剛語菩薩・・・悟りの声を聞く
と言うように、世の中の『法』は、それ自体で仏の力に添った清浄な物である。それを見れば、文殊菩薩の『利』剣で迷いや苦しみを断ちます。さらに、正しい『因』果の法を見れば、人に説くこともできます。こうして、仏の心に添う『語』を聞くことが悟りを得るでしょう。
さて、現実世界で対応して頂く、不空成就如来は
金剛業菩薩・・・金剛身を得る
金剛護菩薩・・・法身を得る
金剛牙菩薩・・・金剛薩埵となる
金剛拳菩薩・・・仏の真実体を得る
となり、これは今までとは少し雰囲気が違います。菩薩である金剛薩埵や、仏の真実の体を、自ら実現すると言うことです。
しかし
現実の多様性に対応
するためには、少なくとも
菩薩の智慧
が必要です。
人を見て法を説け
と言いますが、このような智慧は、金剛薩埵でもないと、働かすことができません。そして
私達が金剛薩埵になって皆を救う
ことが大日如来の願いであり、これが実現できると言うことが
金剛界曼荼羅からのメッセージ
ではないかと思います。なお、金剛護菩薩は
仏の衣で被うように『護』る
想いがあります。仏の護りがあれば、心に余裕ができるので
怒りの想いを抑える
ことができます。仏の慈悲を実現する、そこで智慧を曇らせる『瞋恚』を起こさないように、安心させる。これも現実の世界への対応としては大切だと思います。