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平成の技術者は何をすべきだったか

先日書いた
昭和技術の茹で蛙事例|鈴木良実 (note.com)
に関連して、やるべきだったことが、今更ながら見えてきました。

そこで反省を込めて書いてみます。

私たちが所属していた部門は、昭和の50年代から平成の初期には

マイコン・ミニコン活用で
ソフトウエア標準化

で大きな成果を上げていました。

しかしながら、そこに大きな落とし穴があったのです。それは

標準ソフトに埋もれたシステム記述

です。この結果

SEと称する人間もシステム理解せず
決められた項目の穴埋め

程度の打ち合わせしか出来なくても、仕事になっていました。このような状況は、多くの仕事をこなすには好都合です。

しかしながら、このような標準化を行うために

色々と学び検討した技術者

の苦労が忘れられていきました。

過渡的には、管理職の一部が

技術的な相談

を受けていましたが、彼らも人事異動で移っていきます。

さて、私が直面したトラブルは

新しいソフトハウスへの発注

が起こったとき、

ソフトハウス側は
「システム概要が分からない」
SE側は
「従来のプログラムを流用しろ」

と混乱しました。

そこで私が中に入って

そのシステムはどのようなモノか
教科書的に解説を書き

それで作業をさせませた。

私の反省点は

それを一過性のものとせず
SEの教科書書きを専門化し
部門の体勢を作らせる

努力を怠ったことです。

これを理解しなかった、部長課長は重罪ですが、それを解らせなかった、私にも責任があると思います。

高度技術の解説はまだ行われていました、利用者の立場での解説も同様に重要だったと思います。

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