三鬼堂の謎
厳島神社のある、神の島である宮島に、弘法大師空海と縁のある弥山があります。そこには、虚空蔵菩薩を本尊とするお堂があります。
さて、そこに『三鬼堂』という、少し変わったお堂があります。そこに祭られているのは三鬼大権現で
追帳鬼神(ついちょうきしん):「福徳」の徳を司る鬼神で、大日如来を本地仏
時眉鬼神(じびきしん):「知恵」の徳を司る鬼神で、虚空蔵菩薩を本地仏
魔羅鬼神(まらきしん):「降伏」の徳を司る鬼神で、不動明王を本地仏
となっています。この三鬼は、天台の止観に出てくる、一番怖い『天子魔』そのものです。こうした修行を妨げ鬼を、わざわざ祭る理由を考えてみました。ありきたりの答えでは、
「弘法大師の法力で、修業の妨げになる、強力な天子魔を調伏した。
各鬼は改心して、修行者の守護をするようになった。」
となります。しかしこれでよいのでしょうか?
もう一歩、踏み込むため、各鬼の本地仏を考えます。
まず、魔羅鬼は不動明王です。これは、あらゆる手段で、修業を妨害する魔羅鬼は、不動明王の『あらゆる手段で衆生を救う』心の裏返しということで、ある意味順当と思います。思い切り試練を与えることと、妨害することは裏表です。これは、納得しやすいですね。
追帳鬼の本地仏が、大日如来ということは、少し違和感があります。
追帳鬼は色々な身体感覚などで、修行者を惑わす鬼です。自らの体内から湧き出してくる、色々な感覚の作用を、大日如来の働きと見るということは、何を意味するのでしょうか。これは、『今ある世界すべてが、大日如来の働きであり、感じるものすべてに大日如来の力が働いている』という理解ができます。もう一つ、即身成仏の実現として、『自分の体に大日如来の力が宿っている、自分自身の体が、そのまま大日如来である。』このような感覚を、身体感覚として持つように教えているのではないかと思います。
時眉鬼は、色々な幻の姿を見せて、修行者を惑わす働きがあります。これを、虚空蔵菩薩の力の現れと見るなら、時間や空間を超え、自分の経験を超えた世界中の智慧を見る、という風に理解できます。また、自分の心の中にある宝に気づき、それを引き出す働きもあります。このように、虚空の蔵にある、善きものを引き出すのが虚空蔵菩薩の力です。このような力があれば、現実以外から得るモノでも、善いものを見出せという、お大師様の教えがあるように思います。
なお、時眉鬼に惑わされると
「自分に通力がある」
と思いあがって、変なカルトに走る可能性があります。ここで、虚空蔵菩薩の『知恵』での見極めが必要になります。
実は、天台大師が初期に書いた『天台小止観』では、魔境を退けるように教えています。この理由として、変な通力の誤解があります。
さて、天台大師の教えの完全版と言える『摩訶止観』では
魔界即ち仏界なり
と、大慈悲の力で、本当の仏の道に入れようとします。
弘法大師も、こうしたことを理解しています。その上で
鬼を神に変える
としたのでしょう。