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いつかのゆめ

昨日の朝、ふと随分前に見た夢を思い出したのです。
どれくらい前だか…はっきり覚えていないけれど、多分2017年前後のことだったと思います。

小高いところに立っていて、どなたか男性の話を聞いている集団の中にいるような感じでした。
話の内容は「縄文時代と〜〜の重なりあった地層」的な話で、私はよく聞いていなかったようです。
夢の終わりかけに、ちゃんと聞いておけば良かったと後悔していました。
よく聞いていないのに、その時見ていた遺跡の名前が何故か頭に残っていました。
夢なので、不思議なのは仕方ありません。
その男性は遺跡のガイドをしてくれていたのでしょう。

その後、突然自動販売機で飲み物を買おうとしている自分に気がつきました。
ボタンを押そうとした時に、猛烈に悲しくなってしまい、目が覚めてしまいました。
時々こんなふうに、感情がたかぶって目が覚める夢をみます。
夢の中で感じる感情は、時々現実を凌駕します。
それまで生きてきた中には、これほど強烈な悲しみはなかったと思うくらいの悲しみでした。
でも現実的には、私は強烈な悲しみを体験したことがあるのに。
抑圧してしまった悲しみだったのか、人類が抱える悲しみの集合体だったのか、今も分からないまま。
その頃、悲しいと感じていた出来事のせいかなと、当時は考えました。

当時その遺跡が本当に存在するのか調べてみましたが、よく覚えていないのです。
大阪の島本町の楠木正成父子の桜井駅の別れのエピソードが、この夢の悲しみにリンクしているような気がして、そのあたりだったのだろうと結論づけた気がします。

昨日この事を思い出して、少し調べ直していました。
その遺跡名そのものがあるということは、確か以前にも気がついたとは思うものの、まさかな…と思ったままだった気がします。

どちらか、ではなく、どちらも関係のある夢だったのだと、ようやく今分かりました。

何よりも驚いたのは、また『儺の國の星』。
河原星の章に、突然水無瀬星の名を挙げています。
何を伝えたかったのでしょう。

私は昨日まで、後鳥羽帝の離宮であるその水無瀬殿が、桜井駅跡の側にあることを知りませんでした。


何故自動販売機が突然そこにあったのだろう。
よく思い出してみると、自動販売機を見つけて、そこへ向かって少し歩いたように思います。
そうしたらそこで悲しくなった。

歴史をたどっていると、悲しみや憤りが吹き出しそうだなと思う場面にしょっちゅう出くわします。
今がある事が奇跡的だと思うほど。

昨日一日中、色んな事を巡らせて思ったことは、聞いてくださる方が奇跡的なかけがえのない瞬間である今を感じることができて、これからを大切に生きようという気持ちになっていただくことが、私達歴史ガイドの役目なのだろうということでした。

申し遅れました。
地域で歴史ガイドボランティアに参加しています。
まだまだ“これから”の駆け出しです。
昨日私のガイドから気付かされたこの初心を、いつまでも忘れないように、ここに書いておきます。


P・S
その悲しみは美しいものでした
そこにあったあたたかい時間…
きっといつまでも抱えて慈しんでいたかった時を
色んな姿に変えて現れる時を
そんな果てしない時を遡っているかのように

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