見守る姿勢とぼやきの効用。
四年前に、東京で子どもらとドラえもんの映画を見て。
ラストシーンで息子であるのび太を見守る、ママとドラえもんの会話に思わずうるっと。
最近「転ばぬ先の杖」とばかりに子どもを守り過ぎることがらが増えている気がしています。
あまり守りすぎますと、子どもが失敗含めたいろんな経験をし、自ら考える機会が減ってしまうため、大きくなってから自分で人生を切り開く力が弱くなってしまいます。
「かわいい子には旅をさせろ」とは昔から言われますが、親としてぐっと我慢して見守る余裕が必要だなぁと改めて思いました。
マウスに迷路内のえさを探させる実験では、同じ時間内にいろんな道を試した(要は行き止まりと言う失敗をどんどんした)マウスほど、えさにたどり着く最短経路を見つける成功率が高かったとの結果も。「試行錯誤する力」ともいえるかもしれません。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/48263
そして、失敗の中には、「試練」ともいえる大きな出来事もあるかもしれません。あまりの体験に、心が傷ついたりということもあるでしょう。
でも、そこから立ち上がることで子どもは大切なものを学んでいきます。
女優の宮沢りえさんがこんなことを言っています。
『わたし、試練はごほうびだと思ってるんです。苦難は経験したくないかもしれないけれど、じゃあ、まったく経験しないで50歳になったひとと、経験して50歳になったひとだったら、おもしろい話がちゃんとできるのは、やっぱり…。』(ほぼ日手帳2016より)
関西だと、いろんな失敗談が笑い話として話されます。
逆に人がしないような経験はおいしいネタであり、有難い話だったり。
芸人のゴルゴ松本さんが少年院等での講演で漢字ネタで話をされる中で、「吐く」と言う字を、「口から+と-のことを言うと書く」と示し、最初は+・-も吐いていいんだ、と言います。
ただ徐々に-を減らしていくと…「叶う」んだと。
何か事を起こそうとするといろんな苦難がやってきます。
まるで人生がその人を試そうとしているように。
そんなとき、弱音を身近な人に「吐く」のも大切な処世術です。
ただグチやぼやきで終わらずに、それを笑い話に昇華したときにその経験は人生の糧となり、その人の歩みを進め、何かが叶うのかもしれません。
そして「ぼやく」相手がたくさんいると意外に世の問題も減ったりする?、と思う今日この頃です。
(16/4/2記す)