改めて「パンドラの嫁」という表現について考えてみたら、個人的には重大な問題に行き着いた話
皆さんおはようございます。
皆さんもnoteを日々ご覧になられていると、「閲覧履歴にもとづくおすすめ」として他の方の記事が表示されますよね。
(非表示にできるかどうかとかは良くわからないんですけど、見たくないという話ではございません)
で、だいたいの仕組みは理解してるつもりなので、1つは
「(読んで字の如く)私の閲覧した記事を書いたnoterさんのフォロワーさんの記事が表示される」
だと思うんですけど、これって自分の記事に置き換えると、全く私のことを知らないnoterさんに表示されてる訳ですよね。
「パンドラの嫁の~」なんてタイトル表示されたら、その方はどう思うのだろう?って思った訳です。
そこで【結論①】
「全く私のことを知らない人が見ても恥ずかしくないように、タイトルを変える」・・・なんてことはしません!!
だって今のままの方が変わってるから面白そうな感じだし。
逆に「この記事は危険だ・・・」と認識する方には本当に危険かもしれませんので、ちょうどいい抑制効果が生まれていると思うことにします(だから閲覧とかスキの数も増えないんだな、まあいっか)。
で、もう1つ気になったのは、本当に「パンドラさんの奥さん」が世界のどこかに存在していたら、記事のタイトルと呼び方が重なりますね。
具体的には海外に「○○・パンドラ」みたいな男性がいて、結婚した女性が「パンドラの奥さん」になると、私の記事が何かの事情で奥様の目に留まった場合、気分のいいものでは無いのかと。
で、調べてみました。
結果・・・
パンドラさんという方が・・・
ほとんどいなそう(多分・・・)。
ということで【結論②】
海外のパンドラさんはいない前提で、これからも記事に書きます!!
(もしいらっしゃったらゴメンなさい・・・)
と、ここまで「パンドラの嫁」続行スタイルで書いてきましたが、ここで重大な問題に気付きました(これはやばいです)。
先ほど書いた
海外に「○○・パンドラ」みたいな男性がいて、結婚した女性が「パンドラの奥さん」になると・・・
私(すず太郎)がパンドラってことじゃないですか!!
嫁がパンドラだと思っていたら、実は私がパンドラで・・・何だか哲学的な感じになってきました。
そう思うと「パンドラの嫁」という呼び方も変えた方がいいかな?って思い始めている今日この頃、今度呼び方の思い付きを羅列してみようかなと思っています。
おわり