第⑤作 ムーミン谷の夏まつりを読んで、「自分は自分でいいんだ」と知りました
こんにちは!
9つの物語の本質的なメッセージを、
トーベヤンソンの生涯・想いと、
キャラクターの性格を深堀して読み解く、
新しいムーミンの楽しみ方。
というテーマで
第五作【ムーミン谷の夏まつり】を読んで
ストーリーにどんなメッセージが秘められているのか
私なりに綴ってみました^^*
※この作品のすべての内容は
一個人である私の見解であり、
公式のキャラクター・実在の人物とは
一切関係ありません。
ご了承の上、お楽しみくださいませ!
※ネタバレ注意です※
この物語は例えるならば、
シェイクスピアの「夏の夜の夢」。
トーベはこの物語に
巧みに演劇の要素をとり入れ、
リズム感のある楽しいものに仕立てています。
その物語の舞台はそう、
お察しのとおり「劇場」です。
≪画像はムーミンバレーパークのショーステージ≫
洪水で流されたムーミン一家が、
偶然見つけた、だれも見たことがない
不思議な建物「劇場」に移り住みます。
時は、白夜。
太陽がしずまない神秘的な季節です。
ある日突然
ムーミン一家と仲間たちにおとずれた
洪水による非日常は、
ふだんの生活スタイルや
「あたりまえ」さえも覆してゆきます。
住人たちは
見たこともない劇場の小道具に惑わされ、
ダンボールでできた扉は
その裏側にストーブが描かれていて、
その矛盾した物体に、「ホムサ」はこう思います。
「ドアというのはどこかへ入るためのものだ。
もし急に、犬が
猿やキツネやタヌキの真似をしだしたら、
世の中はめちゃくちゃになってしまう」
このセリフから、トーベが
読者に伝えたいメッセージはきっと
こんな感じじゃないかと思います。
世間の、人の傾向として、
いつも憧れている何かになろう、
自分以外の何かになろうと
必死になっている姿が見受けられます。
〝まるっきり誰かと同じでいたい″
という人もいるほどに。
けれどホムサというキャラクターが語るのは、
「大切なことは、自分が自分であるということ」。
この劇場に起こるあらゆる事件に対して、
意外にもホムサおなじ感想をいだく者はいません。
ムーミンの物語は、
人間の「癖」や「性質」を
極端に表現したキャラクターが
ストーリーを紡いでゆくからです。
悲観的な人、楽観的な人、
どこまでも自由な人、規則正しい人、
のんびりした人…
今日の自分は、ムーミン谷の住人の
どのキャラクターだろうかと考えれば、
自分を客観的にとらえることができて
面白いかもしれません^^*
場面は変わり、ミイは水に流され
ムーミン一家からも離ればなれになります。
けれど小さい彼女は、とても軽いために
水にしずむことなく
ぽんっと水面に浮きあがり、
偶然流れてきた
ムーミンママの裁縫カゴにもぐりこんで
眠りについてしまいます。
ミイはどんなことでも
すべてを楽しんでしまえるから、
「苦労」や「試練」といったものとは
無縁のキャラクター。
もう、とってもうらやましい(笑)
ちなみにミイとスナフキンが初めて出会い、
有名な名言が生まれたのも、この作品です😊
「あたい、もう、
また眠くなっちゃったわ。
いつも、ポケットの中が
いちばんよく眠れるの」
「そうかい。
大切なのは自分のしたいことを
自分で知ってるってことだよ」
スナフキンはそう言って
ちびのミイをポケットの中へ
入れてやりました。
そんなスナフキンはもう夏だというのに
まだムーミン谷に帰ってはいませんでした。
なぜなら、
〝べからず″ の看板引っこ抜くため。
行動を制限するものは
どうしても許せないスナフキン。
だからニョロニョロの種をまいて
公園番をビリビリと
感電させてやることにしたのです!(笑)
いっぽう、
ムーミンとスノークのおじょうさんも
ママとパパから引き離されてしまいます。
2人で森を歩いていると、
フィリフヨンカの家を見つけました。
フィリフヨンカは、
「〜しなければならない」に自ら縛られて
それを忠実に実行しては
ストレスと戦って悲しむという
実に切ないキャラクター。
現代社会の私たちみたいじゃないですか^^;
その日、フィリフヨンカは
夏至を友人と楽しく過ごすため
家を美しく飾りつけ、
来ることのない友人を待ちつづけては
涙を流していました。
ひとりでいることに耐えられない
フィリフヨンカ。
ひとりでいられないことに苦しみを感じる
スナフキンとはまるで正反対です。
このふたりの正反対な性格が、
またムーミンの世界観に
スパイスをきかせています。
スナフキンが公園で抜いた立て札は、
実はフィリフヨンカの家に積まれていました。
そうとは知らず
ムーミンとおじょうさん、フィリフヨンカは
その立て札を夏至のかがり火で燃やしてしまいます。
フィリフヨンカは
『禁止事項』の書かれた札が燃えていくのを見て、
自分を縛っていた鎖から
解放されてゆくのを感じます。
「義務感よ、罪悪感よ、さようなら!」
そう言って歓び、
だれよりも楽しそうに踊ります^^*
このシーンは、本当に爽快!!
さらにこの作品にスパイスを効かせるのは
「ミーサ」というキャラクター。
彼女は
「自分のことしか考えられないくせに、
ありのままの自分に自信がもてない」
という性分。
もう、こちらもほんとに人間臭い(笑)
彼女は
「芝居のなかでは、
自分になれないものになれる」
という言葉を聞いて、
「ほかのだれか」になり、
好きなだけ感情を表にだせる演劇に、
心を奪われます。
パパの脚本は
それはもうひどいものだったけれど、
ミイがぶち壊してくれたおかげで
舞台上で再会を喜び、
だきしめあうムーミン家族を見て、
観客はいい劇だったと拍手喝采を贈ります。
演じる側の意図はなんにせよ、
人が何に感動するのかは
こちらの預かり知らぬところ^^*
トーベは複雑に絡み合うこの物語を
どこで、どのように楽しむのかさえ、
「観客」にゆだねたんです。
「ムーミン谷の夏まつり」で
トーベが伝えたかったメッセージは
なんだろう?と考えてみると、
私はこう思います。
「自分でも知り得ないところで、
人は様々な顔をもっている。
そして、すこしのきっかけさえあれば、
自分を縛る鎖を、
簡単に解いてあげることができるのよ。」
そして私のこの解釈も、
読んでくれているあなたが何を感じ、
そして何を思うかも、ゆだねることにいたします^^
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少し長くなってしまいましたが、
この第五作【ムーミン谷の夏まつり】は
変わることも、変わらないものも
私たちを心の底から
しあわせなきもちにしてくれる、ということ・・・
そして人は
いつだって新しい自分に
出逢うことができるんだと教えてくれる作品です。
読んでみたら、あなたも生きながらに
生まれ変われるかもしれませんよ✨
記事を気に入っていただけたら サポートして貰えると嬉しいです^^* 執筆者として生きる活力になります✨