『囀る…』についての個人的妄想その2 矢代さんとイエス・キリスト
(以前ふせったーに上げた記事の再掲です)
矢代さんとイエス・キリストを重ねるという、まさに神をも畏れぬ所業に、今更ながら慄いているのですが……続けます。
まずはその誕生から。
イエス・キリストは馬小屋で産まれたとされる。本来、人が寝泊まりする場所ではない、とても清潔とはいえない場所で。そういう最も栄誉や崇高から遠い場所で誕生した者が神の後継者であり、この世の救世主となった、というのがキリスト教の教え。
一方、矢代さんは愛情を与えられず虐待を受けながら育ち、三角さんが初めて矢代さんに出会ったのはヤクザの溜まり場である雀荘だった。しかも複数の男に犯され精液まみれの状態で。
そして外に捨て置かれ、雪降る夜に三角さんに拾われる。
キリストの誕生日であるクリスマスには一般的に雪のイメージがあり、そこも重ねられると言えなくもないかな…と。
こうして矢代さんは、神・三角さんと出会う。
神である三角さんは最初、本来自分の視界にも入らぬほど下賤の者に自分の中の劣情を突き動かされたことに腹を立てたけれど、雪の中で平然と横たわる矢代さんが全く自分の身の安全や行く末に頓着せず(無私無欲)、しかも自分を客観視でき、独特のプライドをもつ人間であることに気づき(ホモ× オカマ× 変態⚪︎)、興味を抱く。
しかもただの淫乱だと思っていた矢代さんは、高校の同級生だった影山のために、三角さんに向かって必死で土下座をする。何日も何日も通い、何度も何度も。
自分がボコボコに蹴られた挙げ句に裸で雪の中に放り出されても、泣きもせず助けを求めることもなく平然と地面に寝そべったままだったのに、ただの同級生…(三角さんの予想ではおそらく)片想いの相手のためにはそこまで必死になる。相手はそのことを全く知らないのに。
見返りを求めない愛、自己犠牲の精神。
平田をはじめ、常に自己アピールに余念がなく上に引き上げてもらうことばかり考えている組員達に囲まれ内心ウンザリしていた中、三角さんにとってそれはかなり心に響くものがあったのではないだろうか(そして大天使天羽のナイスサポート)。
さらに、誰に教えられたわけでもないのに、借金を返すためにその辺にある新聞から得た情報で株を買い、自分の力で金を増やす才覚。
このとき組に引き入れた時点で既に、三角さんは矢代さんを自らの後継者として意識し始めていたのかもしれない。
三角さんの矢代さんへの強い執着。愛人へのそれとも違うこれは一体何なんだろうと考えたときに、自分の世界(組)を守り継続するための資質を備えた貴重な後継者候補への執着なのではないかと思ったのです(つまり真の目的は自分の世界=組の存続と安定)。
だからそこに一応愛情は無くはないけれど、父親がただ無条件に息子を愛するようにではなく(そんな親ばかりではないかもしれませんが)、どこか非情さも伴う。もし矢代さんが後継者となることを拒んだら、容赦ない厳しさを向けてくる怖さが潜んでいるような気もします。
…つづく
(2023/9/6)