囀る…感想30 百目鬼のトラウマについて
久しぶりに、頭の中を整理するための文章を書きました。相変わらず内容が振り切っておりますので、すごーくお暇で、かつ読んでもいいよという方いらしたら……。
これまではずっとふせったーで書いてきましたが、Xに名を変えてからの諸々の不安定さを思い、noteに切り替えることにしました。以前書いたものもほぼ全て移行済です(ふせったーはそのまま残してあります)。
前置きが長くなりました。今回のテーマは、百目鬼のトラウマについてです。
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これまで私は矢代さんの幼少期のトラウマについて思いを馳せることが多かったのですが、ここへきて、百目鬼も相当なトラウマの持ち主であることに気がつきました(今さらですが)。
これまでもそれについて考えないわけではなかったのですが、私の中でその主体はあくまで妹の葵ちゃんで、百目鬼に関しては自分が護るべき人を護れなかったことへの後悔や自責の念に目を向けてしまうことがほとんどでした。
けれどもよく考えてみれば、義憤に駆られたからとはいえ、実の父親を「顔も体もグチャグチャ」になるほど殴り、半殺しにしたことが心の傷となっていないわけがない、ということに今さらながら思い至ったのです。凄惨な現場を数多く見てきたであろう刑事達をもゾッとさせたというその行為に、誰よりも深く傷ついていたのは彼自身だったのではないかと。
矢代さんと異なり、百目鬼が子ども時代に虐待を受けていたという描写はありません。百目鬼の親に対する心情は、幼い頃から身体が大きく、早いうちから子ども扱いをされなかったことに加え「親でさえ自分を甘やかさなかった」という一言にのみ表されており、比較的厳しく育てられたことが伺えます。それは長男だったからかもしれないし、もしかしたらときに父親による体罰もあったかもしれない。けれども好きな剣道を習わせてもらっていることなど、一応、一般的といえる範囲内の養育を受けて育った印象を受けます。
そういうごく平凡な育ち方をした人が、いかに許し難い所業に及んでいる現場を目撃したからといって、実の父親に対して感情に任せ手加減なく暴力を振るい、その結果瀕死の重症を負わせたというのはとんでもない非常事態といえます。
四年前、真誠興業にやってきた頃のあの無感動、無表情は、いくら子どもの頃から感情を表に出すのが苦手だったとはいえやはり普通の状態ではなく、生来の性格だけではなくトラウマによる感覚の鈍麻があったのではないかと思います。(「いっそ殺してやればよかった」という物騒な発言もそのせいもあったのでは)
もうひとつ、最近読んだ書籍の中に「戦闘体験を経た兵士が敵を殺戮後に性的不能となる事例がある」という記述があり、これを読んだ時、思わず百目鬼を思い浮かべてしまったのでした。私はずっと、百目鬼は父親の葵ちゃんに対する行為への嫌悪感から性的不能になったのだと思っていて、今もそれはあると思っているのですが、同時にこの異常な状況に置かれ相手に憎しみを抱き過剰な暴力を振るってしまったこと、自分の中に潜むそういう凶暴性を引き摺り出され、直面せざるを得なかったこともまた(自分が欲望を理性で抑えることのできない人間の血を引いているという事実も含め)、百目鬼にとって大きなトラウマになっているのではないかと思いました。
「感情を表に出すことが苦手な子供だった」百目鬼にとって「唯一、竹刀を握るときだけは心が解放された」という本人の言葉から、もともと肉体的な力を発散することにより精神が解放される傾向のある人だったとは思われますが、そもそもはむやみに暴力を振るう人では決してなかった。
4巻別冊『遠火』での警官に成りたての百目鬼は、上司と組んでの繁華街のパトロール中に暴れる酔っ払いを必死で抑え、たとえ上司がその酔っ払いに殴られても冷静さを失わずに対処し「お前は落ち着いているなあ」と褒められています。ここから推察するに、彼は肉体的な力をきちんと理性で制御することのできる人だった。やはり実父との事件ののち、彼の中で何かが大きく損なわれたのだ、と思わざるを得ません。
初対面の矢代さんはたぶん、それに気づいていた。理由は分からないけれどこいつは自分と同様、異常な体験により心が壊れた、あるいは麻痺した人間だと。それでありながら、強い輝きを失わない。「いい目だなあ……」という言葉には、そうした意味合いが込められているのではないかと思うのです。
そして百目鬼が矢代さんに強く惹かれたのもまた同じように、矢代さんの中の深い傷を感じ取ったからではないかと。何かは分からないけれど大きな傷を抱えながらも強く、美しくあるこの人の輝きが、百目鬼には見えていた。
それぞれ大きな傷を持つ者同士だけに見える、惹かれ合う何かがあったのだろう、理屈ではなく。
であるならばお互いが不在のこの四年間、矢代さんがその心の痛みを忘れるためのように自分を痛めつけるような井波とのセックスに依存(あえてこの言葉を使います……)していたように、百目鬼は暴力に依存していた面があるといえるのだろうか……と考えるのは行き過ぎでしょうか。
矢代さんの心の傷を癒せるのは百目鬼ただ一人であると同時に、百目鬼の心の傷を癒せるのもまた、矢代さんただひとりだった。その相手と離れ心を癒す機会を失ったのは、矢代さんだけではなかった。
神谷と組んで追い込みを掛けた相手をボコボコに殴り、まるで物のように放り投げる様子や、仁姫ちゃん救出のため乗り込んだ際の凄惨な現場の様子から、自分が悪と見なした相手への徹底して感情が欠落した容赦なさが窺えるのですが、それと同時に自分自身への無頓着さもとても気になりました。あまりに生活感のない部屋の様子、七原の張込みに合流した際、敵陣に一人で乗り込もうとし、慌てて止めようとした七原に「大丈夫です」と言い張って聞かない様子に、この人はこの四年間、ずっとこうやって自分をないがしろにし、身体の痛みに対して鈍感に生きてきた、それは心の痛みを忘れるために必要な無意識の行動だったのではないかと感じました。そして幸か不幸か、それは極道という生き方とはとても相性がよかった。
その心の傷が癒えて、正常な(といっていいかどうか分かりませんが)心の反応が戻る日が来るのかどうかは分からない。けれども四年前、麻痺していた心が動き始めたのは矢代さんと出会ったからだったように、今回も、その鍵となるのは矢代さんだけなのだろうと思います。