囀る…感想その18 百目鬼とモノローグ
以前ふせったーに上げたものの再掲です。
現在の考えとはちがうところもありますが、記録として。
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9月号出版より前に書き始めていたもので、53話ネタバレは匂う程度です。
四年後の百目鬼の見事な仕上がりっぷりを見るにつけ、真面目で一途、かつ有能でずば抜けた身体能力をもつ人間が信念を持って極道という道に足を踏み入れると、こうなってしまうのか…と震撼します。
あらゆる意味で「力ある者」が強者であり正義とされ、上には絶対服従のピラミッド組織。それはどこか警察とも通じるところがあるように思われ、真逆に位置するはずなのに、移行してしまう可能性は本当にあるのかもしれない、と思えてしまいます。
(第4話、百目鬼がかつて警官だったと知り「(警官がヤ○ザになるのは)まあ…珍しくはねえけどよ…」と七原が呟くシーンより)
多くのヤ○ザを見てきた矢代さんにはきっと、百目鬼が極道の道に進んだらこうなってしまうことが見えていた。百目鬼をヤ○ザにしたくなかったのはもちろん百目鬼に普通の世界で幸せになって欲しいと願ったからだけれど、自分に心酔するあまり、百目鬼がヤ○ザという「役」にハマり過ぎることを危惧していたから…というのもあったのではないかと思う。
そして暴力と非道と陰謀が渦巻く世界の中に百目鬼のような真っ直ぐな人が生きて、心を蝕まれないわけがない。もしかしたら、怒りに我を忘れ父親を殴り殺しかけた自分の中にある抑えの効かない暴力性をあらためて目の前に突きつけられ、苦しみもしたかもしれない。
『囀る…』を読みながらずっと矢代さんの心の傷に思いを馳せてきたけれど、今は百目鬼の心の傷も同じくらい心配に思えます…。表に出てこないからこそなおさら。
否応なしに矢代さんと再会せざるをえないと知ったときの疲弊と苦悩に満ちた表情に、今の百目鬼の心の状態が表れているような気がしていました。
そんな百目鬼のモノローグは、物語の舞台が四年後に移行してからずっと伏せられてきました。それは物語の進行上必要なことなのだろうな、今は百目鬼の本心はその仮面の下に隠される必要があるのだろう、と思ってきたのですが、ここにきてふと、百目鬼のモノローグはもう既に語られていたのかもしれない、と思ったのでした。
他ならぬ矢代さんのモノローグとして。
俺はずっとこうだ
こんな滑稽で笑える話があるか?
俺はもう本当に
本当にどうでもよくて
どうにもならなくて
痛いだけマシだとすら思っていた
どこかでわかっていた
知らなければ
失くすこともなかった
矢代さんのいる世界に留まりたい、そしておそらく矢代さんに寄り添い並び立つことのできる人間になることを目標に闇の世界に足を踏み入れた百目鬼だけれど、想像以上に闇は深く、囚われ飲み込まれそうになっていたのかもしれない。
あの冷淡で無感情にみえる仮面が完成するまでには、壮絶な苦しみや葛藤があったのだと想像します。
気がついたら本来の目的を見失い、ただそこにしか道が残されていなかったから、誰よりもヤ○ザらしいヤ○ザを演じ続ける日々だったのかもしれない。
矢代さんと同じように百目鬼もまた、矢代さんと出会うことで救われ、そして別れに大きな喪失感を抱え虚ろな日々を送っていたのだろう。
矢代さんと再会し、何も感じないように押し殺してきた感情が動き始めた。その心の揺れは百目鬼を苛立たせたけれど、きっとそれが闇から抜け出るための第一歩となるんじゃないかと思う。
実際、矢代さんとの接触を重ねるにつれ、最初は鉄壁に見えた仮面にポロポロと綻びが見え始め、ついに身体を重ねてしまったあとの53話では、かなり素の表情や言動が見られるようになってきていて、ホッとしました。
分かってはいたけど、矢代さんへの想いが昔と変わっていないことにも。
この先物語がどんな結末に向かって行くのかはまだわからない。ふたりがどんな風になっていくのかも。
けれど矢代さんがあれからずっと百目鬼を想い続けていたこと、その証拠に身体も百目鬼にしか反応しなくなっていることを知れば、たとえどういう結果になったとしても、百目鬼の心はきっと相当に救われるのだろうと思います。
(2023/8/5)