囀る…感想その20 目について

(以前ふせったーに上げた記事の再掲です)

『囀る…』では目に関する描写が多くあるなあと思い、思いつくままに書いてみました。「…かもしれない」多めです…
もしとてもお暇でお気が向いたら、軽く読み流してください…
まず第1話、矢代さんと百目鬼が初めて相対するシーンでの矢代さんの「…いい目だなあ」というセリフ。そこから全てが始まる。それも象徴的のように思います。

事務所の下に佇む葵ちゃんを男の子だと思い込んでしまった両目とも視力1.5の七原。目端が効き、周囲に気配りできる人だけれど、思い込みにより重要なことを見間違えてしまう…という欠点もあるといえる(兄弟子に裏切られるなどと思いもよらず嵌められる、平田に関して「親」だから裏切るはずがない…等)。

対照的に視力のよろしくない(公式ファンブックより)百目鬼は、近視眼的、というか自分の興味あるもの=矢代さんに関することしか基本的に目に入らないし、見る気もない。ただし矢代さんに関することはどんなに些細なことも見逃さない。
また近視のせいか気になることがあると「じ…」と見つめる癖がある。

そして矢代さんはというと、「見え過ぎる人」なのだと思う。同じ「見えて」いても、心を適度にシャットダウンできる人とそうでない人がいて、矢代さんは後者。だから傷つくことも多いけれど、それを自分で認めたくないし人にも知られたくない。結果として人知れず無自覚にダメージを溜め込んでいく。

右眼は平田が「持ってった」というのは、だから「もう何も見たくない」という矢代さんの潜在的な願望の表れだったのかもしれない。
「なんなら両方持ってったって良かった」…

見たくないものも含め見え過ぎることに、もう心が疲れ果てていた。
そういう矢代さんにとって「忘れる」というのは生きていくために必要不可欠な機能だったのだと思うのです。
「顔…どんなだったっけな」…

四年前に病院で百目鬼を忘れたふりをしたのも、百目鬼を自分から解放するためというのと同時に、自分の心を護るため、でもあったのかもしれない…。
(「かもしれない」ばっかりですね…)

そして病院の廊下で、矢代さんが視力の低下した右眼を手で隠しながら百目鬼を見ていたのは、世の中のあらゆるものを見ることに倦み疲れた彼が、この世で唯一見たいと思う綺麗なものを最後にもう一度だけ、クリアな視界の左眼に映したいと願ったからなのかな…と


物語中で重要な役割をもつ小道具である「影山のコンタクトケース」も目と関連する物。
影山の机の中のそれを高校生の矢代少年がこっそり持ち出し宝物にしてしまったのは、影山の身体の一部(のようなもの)を手に入れたかったというのと同時に「自分(だけ)を見て欲しい」…という思いの表れととるのは読み過ぎでしょうか…。

けれどコンタクトレンズを失くした影山は買い直すことはせず、境界のはっきりした黒縁の眼鏡を掛けるようになる、それは矢代さんと一枚壁を隔てるようになった、一線引くようになったことの表れにもみえる。
実際、久我への想いを自覚し認め、行動したときに眼鏡のレンズは粉々に割れた。まるで影山が纏い続けた壁を壊すように…。
矢代さんには壊すことのできなかった影山の壁を久我は壊した、影山に壊させることができた、というようにも感じました。


…今のところ、思いつくのはこれくらいです。
うまくまとめられませんでしたが、このへんで…。
(本当にひどい文章…すみません)

(2023/8/20)

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