『囀る…』についての個人的妄想その4 信仰に似た恋
(以前ふせったーに上げた記事の再掲です)
『囀る…』は極道の世界が舞台なだけに、暴力や飛び交う怒号、あけすけな性行為、さらに妬みや嫉妬、悪意などの人の負の感情も赤裸々に描かれる。それなのに、ときに神々しいほど綺麗な構図の画が登場し、息を呑みます。
第1話最終ページの、膝枕で眠ってしまった矢代さんとその髪を優しく撫でながら朝日に目を細める百目鬼の画や、前回お話しした第8話、撃たれて重傷を負った矢代さんを抱き締める百目鬼というピエタを思わせる画。また第47話、井波に犯される矢代さんは、目を覆いたくなるほど痛々しいけれど、同時に自らの身を犠牲に捧げる殉教者のようにも見える…。
他にもまだまだあるのですが、それらの構図のあまりの美しさに胸打たれ、どれもまるで宗教画のようだと感じてしまいます。
そのことも、私が『囀る…』に聖書の要素を感じてしまう理由のひとつなのかな…と思います。
さて。
神、天使、イエス・キリストと来ました。
次は愛しのななタンについて。
若き日の七原は、慕っていた兄弟子に嵌められて濡れ衣を着せられ、ボコボコに殴られ埋められる(あるいは沈められる)寸前に目の前に現れ自分を救ってくれた矢代さんに心酔し、頼み込んで舎弟になる。このことは、イエスの起こした奇跡を見て感激し、弟子になった者と重なります。
あの瞬間、七原には矢代さんは救世主に見えただろうし、またあの状況で自分を救ってくれたことは七原にとって奇跡そのものだっただろうから。
そうして七原は、矢代さんの忠実なイチの部下(&オカン)となる。
そして百目鬼。
百目鬼が初めて矢代さんを目にした時。
それはおそらく4巻別冊『遠火』で描かれる、百目鬼が警官になって間もない頃、夜の繁華街を巡回中のこと。
夜の店の入り口で煌々と輝く照明を背に立つ矢代さんは、初々しい警官百目鬼の目にはまるで後光が差しているかのように光り輝いて映り、あまりの美しさに直視できず、思わず赤面してしまう。
このことはもしかしたら彼の意識下に沈んでいたのかもしれないけれど、四年間の服役を経た百目鬼は、組直属の金融会社で再び目にした矢代さんに心奪われ
「こんな綺麗な男(ひと)がいる世界なら、ヤクザもそう悪くないかと思いました」
とヤクザになることさえ簡単に受け入れてしまうのだ。
実のところ、もともとの性嗜好はヘテロなのにいくら綺麗だからって男性に一目惚れなんてある?しかも姿を見ただけで、その人がヤクザだからって自分もそうなってもいいなんて思える?…という疑問をずっと拭いきれなかったのですが、これを、初対面でイエスを神と直感した者が彼を崇拝し、入信するエピソードに置き換えるととすんなり理解できてしまうような気がするのです。
つまり百目鬼には、ヤクザだろうがドMの変態だろうが淫乱ネコ?だろうが幹部の公衆便所だろうが、どんなに汚く見える場所にいようと汚れることのない美しさに光り輝く矢代さんの本質が最初から見えていた、そして出会った瞬間から矢代さんに心を奪われる、そういう人物として描かれている。
七原と異なるのは、特に何かしてもらったり救ってもらったりしたからではなく、ただ純粋に、矢代さんの存在そのものに至高を見出し心酔したところ。これにはもはや一目惚れや恋というレベルではなく、信仰に近いものを感じてしまう。
実は、映画館前で撃たれて重傷を負い、血を流して横たわる矢代さんを身を屈めて抱きしめる百目鬼を見て「ピエタ」を連想していました。
処刑され十字架から降ろされたイエス・キリストを抱く聖母マリアを表した彫刻や絵、ピエタ。
でも私は、百目鬼=聖母マリア、というのは少し違うように思うのです。何故ならイエスの母マリアは、イエスが生きている間はあまり関わったり助けになったりすることはなく、亡くなったあとにその亡骸を抱き締め嘆くことしかできなかったから。
矢代さんが撃たれたことの責任を厳しく追及され、殴られて傷だらけになった百目鬼の表情は、まるで殉教者のようだと思いました。
七原に胸ぐらを掴まれ詰め寄られているときの、悲しげな、それでいてどこかうっとりとしたような表情。
そして左手の小指を切り落としたあとは、打って変わって何かに取り憑かれたような、凄まじい気迫を発し…。
イエス・キリスト(矢代さん)を初めて見たときに、その本質の美しさ、清らかさを瞬時に理解し、自分の全てを捧げるべき人と思い定め、その命を投げ出すことも厭わぬ人物。
それに合う人物は…聖書の中では見つけられませんでした…いや、本当はひとりいるのですが、かなり設定が異なるところがあるのと、あとその人について書くのはかなり勇気がいるのと…。
まあ、もともと『囀る…』が全てイエス・キリストの物語に重なるとは思っていませんし、その筈もありません。全ては私の妄想ですし。
けれども百目鬼の矢代さんへの想いに信仰に近いものを感じてしまったのは事実です。
少なくとも四年前に別れる前までは。
つづきます…
(2023/9/11)
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