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絵を描いてみようと思った。③匂いと体温を感じた。
小学校1年生になるかなったかの頃だったと思います。
お隣に同級生の幼なじみがいて、その子が書道教室に通うというので、その子のお母さんに一緒に行ってみたらいいと言われ、行ってみました。
お教室では、お手本が用意されていました。
先生が『お手本を真似て書いてみましょう』と言ったので、よく見て真似て書きました。
すると先生は『お手本を真似して書かないように』と言いました。
まったくチンプンカンプンで、その日一日限りで通うことはありませんでした。
また別の日、お隣のお母さんが、絵の教室に行ってみたらと言い、行ってみました。今思うととても教育熱心なお母さんです。お隣のですが。
そこで何を描いたのか、どう言われたのかはちっとも思い出せませんが、
永遠かと思うほど長く退屈な小学校時代に、毎週土曜日、4年間通い続けたことを顧みると、おそらくチンプンカンプンではない初日だったのだろうと思います。書道教室のこともあったので、忖度もしたかもしれません。
しかし、これが良かったのかどうなのか。
事実、全く最初からではなかったと思いますが、嫌で嫌でたまらなかった。そもそも絵を描くことに特に興味関心のない子供だったのに、それだけならまだしも、花の土曜の午後をそのことに費やさなければならないことで、どんどん嫌いになりました。金曜の夜は、明日台風が来ればいいのにと毎回天に祈りを捧げていました。
そんな子供だったので、大好きなアニメを見ても、少し大きくなって漫画を読み出しても、それを真似て描いてみようなどとはこれっぽっちも思ったことはありませんでした。アニメは見るもの、漫画は読むもの、カレーは食べ物に他ならなかったのです。
大人になってペンを取り、100均ノートに線が埋め尽くされても、線は線で、絵に変わることはありませんでした。
さて、中村明日美子さんの絵をPinterestで検索していると、別のおすすめ的なものも目にするようになりました。線が綺麗で落ち着いた色調のイラストが多く出てきました。今でもよく参考にしている林静一さんや丹地陽子さんを知るようになったのもこの頃です。
そして巡り逢ったのだよ。松本大洋という人に。
魂か細胞か、何か体の深いところで反応が起きました。
絵に、絵なのに生身を感じました。ふわっと、風とか匂いとか体温を感じたのです。
この人になりたい、なってこんな絵が描きたい、と思った瞬間でした。
松本大洋研究が始まりました。コミックスを読み、画集を買い、どんな風に描いているのか、画材は何か、調べられることは全て調べ、とうとう紙に絵を描き始めたのです。
と言っても鉛筆での漫画の模写です。絵の具で描くのはずっとずっと先のことです。
描けない…全然描けない…ダメだ…。まぁ、当たり前です。
そこからは、絵描きになりたい人が大抵そうしたであろう、
ネットで『絵が上手くなるには』を検索しては、片っ端からやり始めました。
最初の教科書は、あの有名な、ルーミスの『やさしい人物画』
それと、ジャックハムの『人体デッサン技法』です。
ここに苦しく険しい楽しくもない(笑)、絵の道がスタートしました。
2021年、秋も深まった頃のことです。
3年経った今も、行先を見失いそうになると松本大洋さんの漫画を読みます。模写します。そうするとざわついていた心が落ち着きます。逆にそれすら出来ない状況はかなり心身がデンジャラスなのだと肝に銘じています。
私にとって、大洋さんの漫画は道標であり、模写はまさしく写経なのです。
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松本大洋と中村明日美子の両氏は、私の人生をとんでもない方向へ引き摺り込んだ、罪深き人たちなのです。
絵を描き始めた経緯はこんなところです。こうして書き綴ってみると、至って地味な話でしたが、そこそこ生きてきた自分にとっては、全く予想もしなかった、それは大きな事件でした。
そんな人間もいるのだと思って読んでいただけたら幸いです。
ではまた。