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追いかけたい男

黄昏時は不思議な時間帯。
あと何回、わたしはこの美しい景色をゆっくりと見られるのだろう。
そういう間にも、熟れたトマトのような陽が下りていく。
 

ぴゅーい。
 

ふいに、口笛が鳴った。
意識せずとも、わたしは切なさに駆られると反射的に口笛を吹く。
どこにも力を入れていないからか、まるでわたしの全身から発せられているようだ。
ま、わたしの口から発音していることに変わりはないのだけれど。

 
ぴゅーい。ぴゅーい。
 

かかとがすり減った靴を履いているせいで、足の裏とコンクリートが近い気がする。
ぼこぼこの道を感じながら、辞めた仕事のことを思いだした。


目元を流れる雫は、汗か涙かわからないような中、必死になってガラスを吹く。
暑さで常にイライラし、水筒に入れたキンキンの氷水を飲まないと溶けだしそうだった。
わたしの吐く息の加減で、ガラスの形が変わってしまう。
なのにあの日は、どうしても上手く作れなかった。
もう、何十年も繰り返してきたことなのに。
人々のくらしに、わたしが作ったグラスが添えてある。そんなことに思いを馳せるのが、
生きがいだったのに。
 

今日は調子が悪いから、と帰ると、居間で女房が倒れていた。
そんな景色の中にも、わたしのグラスがあった。
テーブルの上で、静かに佇むグラスは、間違いなくわたしが作ったもの。
わたしの分身は、どうして彼女を助けられなかったのか。
 

ぴゅーい。ぴゅーい。ぴゅーい。
 

風が強くなってきた。
音が遠くへいってしまう。
おまえまでも、離れないでくれ。


 
あたりが夜に包まれたとき、ひとつの恒星がわたしの涙を誘った。

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