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大好きだったバンドの解散を受け入れて次に進む。

私は中学生の頃からヴィジュアル系バンドが好きで、いわゆる"バンギャ"というやつなのだが、このアカウントではあまりその趣味について書いていない。狭い界隈なので、単純に身バレが怖いから。ライブの感想等を書き残している人は少ないし、悪目立ちするのが嫌だから。だけど今回は、どうしても書きたい気持ちになったので、そのバンドと私の人生について書いてみたいと思う。

そのバンドとは、中学3年生の時に出会った。ボーカルの澄んだハイトーンボイスとくしゃっとした笑顔がドンピシャに好みで、私は一気に沼に落ちた。初恋の感情に近いと思う。彼の書く歌詞はどれも優しくて純粋で。今までの私の人生を振り返っても、彼の言葉よりも優しい歌を書く人に出会ったことがない。

少ないお小遣いでCDを買うようになった。当時、ヴィジュアル系バンドのCDなんて地元のCDショップには売っていなかったし、中高生の頃の私はネットショッピングのやり方を知らなくて買えなかったので、わざわざ電車に乗って名古屋のタワーレコードまで足を運んだ。当時の私のお小遣いでは、4000円のアルバムを1枚ずつ買うので精一杯だったけど、買えたことが嬉しくて嬉しくて堪らなかった。

だけど、私はそのバンドのライブに、人生で1回しか行けなかった。

10年続いたそのバンドは、3年前に解散してしまったのである。

高校生の頃、ライブに行くことにすごく憧れていた。大好きな彼を生で見られたらどれほど幸せだろう。それなのに、高校生の間、私はライブに1回も行かなかった。と言うより、行けなかったのだ。

高校生の頃、私は16歳にして鬱病になってしまった。背伸びして入学した進学校で勉強に着いていけなくなり、真面目すぎる私はその情けなさとプレッシャーに潰れてしまった。次第に学校も休みがちになり、体調もおかしくなって、1日に2時間ほどしか寝ないで学校に通っていた。朝、行きたくなのに無理矢理学校に向かう自転車を漕ぎながら、「私を後ろから車が轢いてくれれば良いのに」と思っていた。あの頃は本当に死にたかったし消えたかった。私の高校3年間は、鬱病に全て塗り潰されて終わってしまった。そんな中で、「ライブに行こう!」なんて元気は無かったし、そもそも土日まで勉強漬けにされるような進学校の生徒には、そんな風に遊びに行く時間も無かった。

地獄のような高校をなんとか卒業し、大学生になると、次第に鬱の症状は収まっていった。そしてようやく私の人生に楽しむ余裕が出てきて、大学3年生になろうとしている春、コロナが流行り始めた。そんな中で突然、そのバンドの解散は決まった。解散前に、最後のツアーが行われることになった。私の住んでいる名古屋にも彼らは来る。その時私は、「何がなんでも行かなくちゃ!」と思ってドキドキしながら地元の公演のチケットを取った。

ライブ当日、私はわざと開場時間を過ぎて、開演ギリギリの時間に会場に行った。一緒に行く友達もいなかったし、なんとなく怖かったから。そしていわゆる逆最前、会場の1番後ろの列にそっと入った。コロナ禍の酷い時だったので、声出しはもちろんNGで、その場を動くことも許されなかった。初めてそのバンドのライブに行った私は、ノリ方や振り付け等も何も知らなかったため、ずっと棒立ちで見ていた。手を上げたり、まわりの人の振りを真似たりすることもせず、ただただじっとステージを見つめた。中学生の頃から会いたかった彼と、やっと同じ空間に来れた。大好きな彼がそこで歌っていることがすごく嬉しくて、その瞬間を全て見逃すまいと真剣に聴いた。ノリ方が分からなくて棒立ちで立っている私は、最初は不安でびくびくしていたけれど、ギターの方がMCで「ジャンプとかしてくれる人がいるのも嬉しいし、じっとして観ていてくれる人がいるのも嬉しいね」と言ってくれて、ふっと安心し、私なりに楽しむことができた。

その日の夜、小さなノートに5ページ以上に渡って、ライブの感想を全て書き残した。すごくすごく多幸感があった。だけどそれが私にとって、最初で最後のそのバンドのライブになった。

解散ライブは東京。大学の授業ですらオンラインになり、外に出てはいけないという状況の中で、流石に名古屋から東京に行くことは無理だった。その代わり、ライブ配信をやってくれることになり、私は家で配信を見ることになった。リアルタイムで観ていたその瞬間は、実感が無かった。それなのに、真夜中の静かなリビングでもう一度配信を見返して見たら、急に実感が湧いた。「もう彼らがライブをすることは無いんだ」「もう彼らがこの曲を演奏することは無いんだ」「もう大好き彼の声も聴けなくなるんだ」そう思ったら一気に悲しくなって、家族が寝静まっているのをいい事に、ボロボロ泣いた。その時の感情は、解散への悲しさと、もう会えない寂しさと、ライブに1回しか行けなかった後悔。だけどそれと同時に、「あの日、最後に一目見られて良かった」という感謝のような気持ち。歌っている間は泣かなかったボーカルの彼が、最後の最後で泣き出すシーン。そのあまりにも綺麗な涙に釣られて、いろんな感情が湧き上がった。

あれから3年経った。あの頃買った、解散ライブのDVDは、ずっと観れていない。それを観てしまったら、いよいよ本当に彼らの解散を受け入れなきゃいけなくなるのが恐かった。「もっと早くライブに行けば良かった」と後悔の念が湧いてしまうのが恐かった。

だけど今日、ようやくそのDVDを観てみようと思えた。

バンドの解散後、ソロで活動しているメンバーもいれば、今はプロデュース側に回っているメンバーもいるし、解散以降の動向が分からないメンバーもいる。私の大好きだったボーカルの彼はソロ活動を始め、私の住んでいる地域にもツアーで来てくれるようになった。先日、彼のライブに足を運び、また彼の歌声を聴いて、「彼も前に進んでいるんだな」と思った。変わらない歌声を響かせる彼を見て、「今だったらあのDVD、観れるかもしれない」と思えたのだった。

そして今日、2時間かけてDVDを観た。配信ライブで2度観ているはずなのに、真剣に見入ってしまった。彼の歌声や歌詞や言葉を逃したくなかったから。全て吸収したかったから。あの頃、夜中に配信ライブを見てボロボロ泣いたのに、今日の私は涙を流さなかった。それはきっと、ようやく彼らの解散を受け止め、私も次に進もうと思えたからだと思う。ボーカルの彼はまた0からスタートを切り、ソロでも頑張っている。私も彼のファンとして恥じない人生を送りたい。だから私も、彼らの届けてくれた音楽を抱き締めたまま、次に進もう。

今も私はしっかりバンギャで、いろんなバンドのライブに通い詰めている。あの頃はまだ学生だったし、鬱病のこともあり、大好きなバンドのライブに通うことができなかった。その後悔ゆえ、DVDを3年もの間観られなかった。

だからこそ、今好きなバンドはとことん追いかけて、いつかそのバンドが立ち止まるその日まで、後悔の無いようにしたいのだ。高校生の私には、青春なんて無かった。毎日辛くて死にたくて、そんな今にも折れそうな自分を、音楽の力でギリギリの所で生きてきた。音楽が私を繋ぎ止めてくれた。今の私は、あの頃得られなかった青春を取り返そうとしているのかもしれない。まわりの同級生たちから見れば、20代半ばにもなってライブばかり行っているのは馬鹿みたいなのかもしれないけれど、私には必要なことなのだ。いつか、「あの頃は楽しかった」と、まるで学生時代を振り替えるように、ライブに通う今のことを振り返ることができたらいいな。


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鈴蘭さき
自分の書いた言葉を本にするのがずっと夢です。