芹沢怜司の怪談蔵書「4.溺れ手招く」
「もしもし。ああそう……赤子のやつ本物だったんだ。実際にお目にかかった感想は? 怖かった? それだけかい……いや、君にまともな感想を期待した私が悪かったよ」
知人は無事に傘を持つ赤子を目撃できたようだ。電話越しから興奮が伝わってくる。何百年経っても、足を踏み入れる人がいなくなっても、赤子はずっとあそこにいる。
「赤子の正体は分かったのかい? そう、母親を待っているねぇ……。傘は母親の物? そうかそうか報告ありがとう。十分な成果だよ。それよりも立ち入り禁止の場所に入ったんだ。誰にも見つからずに戻ってきなよ。ああ、写真はいらないから。万が一憑いてこられても困る。それじゃあね」
さて、お話を読もうか。次は海の話だ。特に海は怪談の宝庫で、どの本にも載っているメジャーなスポットだ。お盆に海に行くと死者に引きずり込まれるなんて話があるけど、なにもお盆に限った話ではない。海へ遊びに行くのならばなるべく人が多いところを選ぶべきだ。
【溺れ手招く】
史上初の快挙である。僕は海から突き出た手の平の魔力に抗ったのだ。
僕はオープンしたばかりのホテルに滞在している。地元の住民の反対を押し切って建てられたホテルはなかなか風格があり、客足も上々。ちょっとやそっとの反対では立ち退きされないだろう。
住民の懸念には理由がある。この近辺では行方不明者が多い。人を呼び込むようなものを建てればまたいなくなる人が増えるのではないか――。
もっとも気にしているのは地元住民だけで、訪れる観光客は自分が行方不明になるとは一切考えていない。僕もその一人だ。
行方不明者は隣県の有名な自殺スポットで発見されており、全身痣だらけな上に体の一部が欠損して見つかっていた。それを受けて以前の僕はこう考えていた。
『この町に滞在した人は何らかの理由で自殺したくなり、隣県の自殺スポットへ向かう』
今までそう信じてきた。しかし自らの足で訪れることにより真相に辿り着いてしまった。
行方不明者は自分から隣県の自殺スポットへ行くのではない。ホテルの最上階から見下ろす海――彼らはこの海に引きずり込まれ、海流に乗って自殺スポットへ流されていくのだ。
今もほら、手招きしている。こっちにおいでよと誘っている。
浜辺からだと人が溺れているように見えるだろう。だが遠くから見たら死人のような手がおいでおいでと手招きをしている様子がハッキリと確認できる。
近くで見たら助けようと海に入っていたかもしれないが、海が一望できるホテルから観察すると行こうという気すら起きない。しかし明らかな罠ではあるが、あの手はけっこう魅力的だ。事の真相を知っても引っかかるやつはいるだろう。何があの手を魅力的に見せているのか……招かれると応じたくなる習性が人間には備わっているのだろうか。
まあ、そんなこと考えていても仕方がない。ずっと見ていると海に入りたくなってしまう。
おや、一人で海に入ろうとしている人がいるではないか。遠くて顔はよく見えないが、ハキハキとした動きをしているから正義感が強そうなタイプだ。
これ以上は見ていられないな。
ご冥福をお祈りするよ。
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