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ダンジョン飯読了感想《ネタバレ注意》

 「ゲームやる体力と精神力が無いから、アニメ版を見たダンジョン飯の原作を最後まで読んでみるか…」

 メンタルが落ち込んでおり、少ない体力でも気軽に見れる漫画を求めて手を出した『ダンジョン飯』。結果、とんでもなく素晴らしい作品にぶち当たることになりました。

 読了してすぐにフォロワーさんに教えていただいたガイドブックやデイドリームアワーまで読み切り、さらに2周目を終えてきた人間の、この作品のなにが素晴らしくて魅力的だったかをただひたすらに語る記事となっております。当然ながらネタバレしかありませんので、未読の方はぜひご自身の目でダンジョン飯のキャラクターたちがたどりつく行く末をお確かめください。

 それではどうぞ。

一貫したテーマ、"食"について

 ダンジョン飯では食のテーマを扱うにあたって、多くの描写に食がつなげられています。
 「食がテーマなんだから、そうなるのは当然だろ」と言われてしまえばそれまでなのですが、私はこの作品のその当たり前の表現にたくさんの美しさを感じたため語ります。

■ラスボスの倒し方

 「生きるために命を奪い、食べることで命を巡らせる」を物語の大半で行ってきたダンジョン飯において、ラスボスである悪魔を倒す方法が「悪魔を食べる」という当たり前ながらも美しい構図には何度反芻してもほれぼれとするものがありました。

 空気や水を倒すなんて意味の分からない荒唐無稽なことを成し遂げるための道筋として、まず「何かを糧にしている存在は生き物である」と定義づけをしてもらえたことになるほど~!そういう道筋!!と初見で読んでいる時にとても関心したことをよく覚えています。

 そして人間が消化できない悪魔の命といえる「欲」を消化できる魔物を作り出し、そして食らい消化し糧とすることで悪魔を食物連鎖の中に引きずり込んで殺すというのはまさにダンジョン飯がずっと描いてきたテーマそのもの!いやぁ~構図が美しい!

 そして迷宮内で様々な魔物を食べて糧とし、ついには悪魔まで食らってしまったライオスが王になるというのは、彼が食物連鎖の頂点に立った証のように思えてとても好きです。本人はドラゴンの厄介オタクなので嫌でしょうが。

■ファリンの救い方

 食べて食べられるという食物連鎖の話を真摯に描いてきたダンジョン飯という作品において、最終目標である妹を救う方法が「食べる」になるのは必然のようでやはり美しい構図です。

 加えて、人に興味のないライオスが、人に興味が無く期待値が高くないからこそ出力されていた善性が、巡り巡って彼への恩返しとして「みんなで調理をしてみんなで食卓を囲む」という終わり方が、このダンジョン飯という物語の風呂敷を丁寧に丁寧に1巻分をかけてたたんでいく様子をうかがえました。
 終わりを迎える寂しさもありつつ、それでも読了後の満足感を大いに感じられる気持ちのいい最終章でした。

■孤独の表現

 同じ空間で同じご飯を食べるということは人類にとって最大のコミュニケーションです。食育においても重要な意味をもつと家庭科の授業で習った覚えがあります(具体的にどうという話までは忘れてしまいましたが)。作中でもライオス一行に限らず、みんな誰かと食事を取る描写が一度はありますね。

 では逆に、1人で食事を取るということはどういう状況か
 それは孤独の表現です。

  古今東西、孤独というのはいろんな表現がありますが、食についての孤独といえば"孤食"でしょう。食のテーマを扱うダンジョン飯らしく、作中における孤独とは"孤食"です

*ライオスに置いて行かれたファリンが独りで食事を取る様子。
*マルシルへシスルがかける言葉「100年後お前と食卓を囲むものは誰もいないだろう」

 シスルの家にあった食卓も、彼がみんなと囲む食卓をかけがえのない時間だと思っていた痕跡でしょうし、マルシルへかけた言葉も彼の中で食卓を囲む行為の重要性がうかがえます。

 このように肉体の健康維持の面として食事の大切さを何度も強調してくるダンジョン飯ですが、同時に人と食べる食事の精神的作用にも触れており、この構図に気づいた時には好きが止まらなくなりました。

■食事を取らない人々

 作中で空腹を感じず、自主的に食事を取らないキャラクターもいます。黄金郷の人々に、ミスルン。彼らは"ヒト(生命体)として機能不全に陥っている人々"です。
 生命体が命を営むために食事は必要不可欠です。その行いを「もうそんなことしなくていいんだよ」と奪われてしまっていたり、誰かに促されなければ行動に移せなかったりすることはあまりにも不健全です。

 また、カブルーたちと邂逅したシュローも、ファリンを救わなければと思う気持ちが急くあまりに食をないがしろにしていました。彼もまた、機能不全に陥っていたといえるでしょう。あのライオスにド正論で説教されるんですから。 

「1日3食しっかり食べて 睡眠をとってる俺たちのほうがずっと本気だった‼」

6巻 第38話

 いい言葉ですよね~~~!!!!掛け軸にして職場(準ブラック)に飾ってやりたい。
 食事も大切ですが睡眠も大切。Twitterでたびたび「気が落ちてるならちゃんと食べて、寝なさい!」とメンタルのアドバイスが流れてきますが、まさにそれですね。100%のパフォーマンスをするには大前提として命を営むための最低上限を整えなければお話になりません。私はこの言葉を聞いてからとりあえず味噌汁を飲むようになりました。あったかい食事、大事。

 そしてこれはヒトの話ではなくなりますが、キメラファリンもまた食については口のサイズと体のサイズからして食が機能不全に陥っています。
 シスルが食事を与えている様子が見受けられないのも、長年恐らく自身も含めて迷宮の住人から食を不必要なものとして奪ってしまったため、生命体には食事が必要という頭が抜けてしまったのでしょう(狂ってるのもあるでしょうが)。やはり生命体としては不健全ですね。

見事なまでの構成

 前述したようにダンジョン飯はテーマに真摯に向き合って完結をした作品ですが、そもそもの構成が素晴らしいんです。

■説明をしすぎない

 近年、読者側の読解力に合わせて説明をしすぎてストーリーのテンポが悪いなどの問題点がある作品がちらほらと聞くようになりました。確かに説明はありがたいものです。ですが、説明をされすぎるというのもそれはそれで鬱陶しいので難しいものです。

 その点、ダンジョン飯は"説明をしすぎない"ことが良いところだなと感じました。
 記憶にある例を思いつく限りあげさせていただきます(本当に思いついてる順のためストーリーの時系列はありません)。

・ライオス一行が見つける野営跡はカブルーとミスルンが通った跡(本編中での説明無し)
・シスルに嚙みついた翼獅子が封印されたはずなのになぜ現れたか
 →躓いて本を落とした拍子に本が開いてしまっている
・カブルーが2度も全滅しているのに、悪徳死体回収業者を一網打尽にできた
 →ミルシリルに仕込まれたのは"対人戦"のため(ただし、ミルシリルが剣豪というのは本編中での説明は無い)
・センシの「若者には食わせなければ」の精神
 →遭難時自分に食べさせてくれたギリンの精神を受け継いでいる
・キメラファリン初邂逅の際にカブルーが鎧を脱ぎだした理由
 →キメラファリンにのぼるため身軽になろうとしている
・ミスルンがマルシル作蜘蛛の体の中に転移した後、なぜ再度転移で脱出しなかったか
 →接触面が多いと転移ができない
・緑竜になぜ雷が落ちたか
 →銀食器(金属)を加えていたから(これについては考察)
・コアトルに飲み込まれた際、イヅツミだけがすぐに消化を察知している
 →普段から1人だけ裸足

 他にも読み込めばまだあるでしょうが、ざっと思いつくだけでもこんなにあります。

 これらはすべて、その場面では直接的な説明をされません。ですが、「これってなんで?」と思った時に前後を読み込めば理解ができる描写が必ずあります
 読者に対して言葉によるあからさまな説明をしすぎず、描写によって多くの説明ができるのは絵が主体の漫画というコンテンツの強みです。その強みを生かして、説明するところはする、察してもらえるところは察してもらうというバランスがとてもちょうどよく読んでいてノーストレスでした。それもあって、読み終わった後の満足感も増大したのでしょう。

■情報量

 ツイートの通りです。
 この作品はキャラクターや世界観の作りこみがかなり綿密に考えられています。しかし、本編中でノイズになりそうな蛇足ともいうべき情報は、ガイドブックやデイドリームアワーで明かされるのみです。
 本編のみだと読了後に「結局あれって?」とはもちろんなります。しかしながら、ダンジョン飯の「悪魔を倒し、ファリンを救う」という本筋の話には微塵も関係が無いのでわざわざ解説が入りません。本筋に関係ない話を入れ込みすぎるのは話が進まなくなるうえに、物語の本筋がぶれるので設定は作りこめど開示しないというのは読者側としてもありがたいものです。
 これもいくつか例をあげさせていただきます。

・イヅツミにかけられていた首の呪い(忍法ベビーシッター)
・タンスの「これだからエルフは」の意図
・リンシャがエルフに怯えている理由
・商隊時代のきったない身なりのライオス

 上記は本編中で解決されなかった疑問というだけで、これ以外にもガイドブックを読むとかなりの新事実が記載されています。
 特に「ファリンの糸目は近視の人間が目を細めて見るそれ。ドラゴンと融合後は近視が改善しているため普通に目を開けている」という裏設定が私の中の軽く抱いていた疑問である「ファリンって糸目っ子の割には結構目を開けてるな?」に答えをもらえた瞬間であり感動しました。見返していただけると分かりますが、マルシルの回想の中にいるファリンと蘇生後のファリンでは目が全く違います。
 このほかにも、多く主要キャラクターひとりひとりに細かい設定が考えられています。本編中で開示しない情報のため一見必要のないものに思えてしまうのかもしれませんが、キャラクターのバックボーンをしっかりと作りこまれているからこそ、キャラクターが紙の向こうの世界で確かに生きており、彼らの人生において恐らく一番の大事件に立ち会っているような臨場感を味わうことができていると思います

 また、キャラクターの作りこみだけでなく、人種や世界観も深めに作りこまれています。

 例えばガイドブックを読んで初めて分かることとして、「精霊に対し、ノームは神性を見出しており、エルフは事象としてとらえている」との情報。これを念頭に置いた後に本編を見返すと、タンスじいちゃんがウンディーネを怒らせたことに対して「これだからエルフは」のセリフは、ノームとエルフ間での精霊の扱いの差からくる言葉だと理解ができ、よりキャラクターの深みが出ています。

 このようにたくさんの作りこみがされている本作ですが、本編内で開示する情報は彼らのほんの一部だけで終わります。これもまた、読者がストレスを感じず本筋に集中することができる作りになっており素晴らしいですよね。

■ファンタジーにおける辻褄あわせ

 さあここで私が一番話したい内容です。

 私は普段主にゲームをやっているため、ファンタジー世界におけるモンスターやらドラゴンやらを突然出されても疑問を持たず、なおかつRPG世界における剣士・魔法使いなどのパーティを組んでダンジョンに挑む!みたいなのも何も説明が無くとも「そういうもの」で終わらせることはできます。
 しかしながら、いえ、だからこそ!「そういうもの」を深堀して紐解いて、「○○だから△△できるはず!」などの具体的な活路を見出してくれる作品が大好きです。

 特に私が好きだったのは、「ファリンは今確実に腹をすかせている!」の部分です。
 あのキメラを倒すために、物理的に攻撃を仕掛けるのではなく、まずそもそもの歪な生態として「巨体に合わない頭部(口)を無理やり接合されているせいで、巨体を維持するためのエネルギーが十分に得られない」。この話を最初にライオスから聞かされた時はまさに目から鱗。「そういうもの」として深く考えずに念頭に置いている私には感動ものです。

 「そいういうもの」で終わらせることは一概に悪いことではありません。
 ドラクエのようなRPG的世界観が広く知れ渡っている世の中で、わざわざ「勇者という存在は強くて~世界を救って~人助けをして~…」なんて説明をしなくても、「そいういうもの」として大体の人は受け入れてすぐに本筋に集中ができます。
 ここの感覚としては『葬送のフリーレン』が分かりやすい作品かもしれませんね。あの作品は「人の心を知る旅路」が本筋であり、RPG世界観の説明はノイズです。(そのせいでサブカルに疎くゲームをしない知人は振り落とされていましたが)

 ですが私は、「そういうもの」で終わらせることができる要素を深堀して世界観に落とし込み、「そういうもの」から「生物」に変えられた瞬間がとても印象に残り、この体験はずっと繰り返し思い出しては素晴らしさを嚙み締め続けることでしょう。

終わりに

 この話、本当に食育に良いと思うので家庭科の教科書に載せろ~~~!!!!!!!!と思う私ですが、本気で勧められるかというとまあナシです。当たり前でしょう主人公があんな男なんですから。なんなんだあのライオスとかいう男。なんなんだあのウミガメのスープを証明したがる男は。頭がおかしいんじゃないのか。教育に悪すぎる。

 ですがやはり生命体が必ず向き合うべき、"食"に真摯に向き合った作品なので高校生ぐらいからは教科書に載せてほしいかもしれない。私が石油王だったなら全国の高校・大学の図書室と全地域の図書館に寄付してました。金が己の生きる分しかない凡人なのが口惜しや。

 ひとまず電子書籍で購入しているので、来月の給料で紙版をガイドブック等含めてすべて購入しようと思います。そして大事に大事に保管して、源氏物語や平家物語のように1000年先も語り継がれる作品にするんです。

 ダンジョン飯よ永遠なれ!!


おまけ

 初見の悲鳴を食いたい方はこちらをどうぞ。


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