単身海外オーストラリア一年間のステイ
★この記事は、数年前の体験を基にした小説です。
街の中央からヤラリバーにかかるプリンセス橋をトラムにのって渡る。
一か月前は夏のまっすぐな日差しの中、日傘をさして、歩いていた。メルボルンには誰も日傘をさしている人なんかいなくて、それに、人に当たるといけないから、すぐにささなくなった。
わたしは、ヴィクトリア美術館にむかっている。夕方からの一時間は入場料が無料になるらしく、貧乏留学生にはありがたい。しかも、今日は、バーも開かれて、生演奏も行われるみたいだ。留学生仲間のすみれと待ち合わせして、お酒をのみながらゆっくりしていこう、と思う。
私はこのころ、大のイベント好きで、SMSでイベントを探しては、友人をさそって出かけていた。旅行ではスケジュールが合わなくていけないような催事にも一年を通していける、時間に追われなくていいということは、海外滞在の魅力だ。
アートにタダで触れられるなんて最高だ。でも、お金を払わないと、ハッとするようなアート体験にはなかなか出会わないことも事実。なんて、アートもなにもわかっちゃいないけど、そう思う。今日は、ゆっくりお酒をのもう。
すみれが、エントランスの日陰から、私に手を振っている。オーストラリアの夏は長い。夕方なのに、お昼みたいなまぶしさで、長時間外にたっているのは、きつい。
美術館の外観は、外壁一面に水が上から流れていて、その水が前にはりだして、エントランスまでの道をつくっている。
入口のドアまで水が流れていて、触ろうと思えばさわれる感じ。結露とか大丈夫なのかな、と思ったけど、ここはオーストラリア。全然じめじめせず、スカッとしている。どれだけ乾燥しているんだろう。洗濯物も2時間で乾いたこともあったような。
すみれは、
「アートとお酒とかおしゃれやなー。」
といいながら、
「ちょっと、あとで、彼氏の愚痴きいてよ。」
と、すっかりいつもの調子だ。こりゃ、ゆっくり美術館をまわるのは、後日、一人できてからになりそう。今日はすみれといっぱいしゃべろう。
一通り、美術館をまわると、私たちはお酒をさがすと、外で売ってます、とスタッフの人が教えてくれた。
外にでると、子供のあそび場があって、子供たちがアスレチックで遊んでいる。人工の芝生があって、ふわふわしている地面なんかもあって、楽しい。
こんないい環境で子供を育てられたらいい、とオーストラリアに来てから、何回も思った。自然は壮大で、街には広々とした公園や休憩場所がたくさんあって、車で行けば、透き通った海にもすぐだ。
ここは、広い。ぐーんとのびをしても、まだまだ手と足が遠くまで伸びそう。深呼吸したら2倍も3倍も肺がひろがって胸が広がるような感じ。
海外にいくと、どれだけ日本が狭いのか、ときどきネズミみたいな気持ちになるわけが、窮屈さにあるんだ、と分かる。その分、芽生えた優しさや気遣いという美徳もあるんだけれども。
子供の遊び場の周りには、大人たちが座れるベンチが、美術館ならではの形と色合いでゆったりと並んでいる。私たちはビールより安い白ワインをたのんで、背の高いテーブルの前にならんでいる白のスツールのひとつに腰かけた。
すみれは、フランス人の彼氏がいるんだけれども、その彼はフランスに住むことになって、遠距離になる。話をきていると、なんとも頼りがいのない男で、すみれを幸せにしてくれるとは思えないんだけど、そういう男が好きなのはしょうがない。私は、それとなく、新しい人にも目をむけてみるよう勧めながら、ワインをちょっとずつ飲む。
夏のオーストラリアの9時ころは最高にきもちいい。空も淡い紫いろになりはじめて、涼しい風が、ほってた体を覚ましてくれる。
9時ころまで、だらだらしていたいなー、と私たちは、ワインを少しずつ飲む。
こんな生活、日本で働いていた時は考えられなかった。ほぼ毎日8時過ぎまで会社にいたし、休みも不定だったから、いつなるかわからない携帯電話にびくびくしながら休日も過ごしていた。いつもお金のことを考えて、周りに迷惑かけないように必死だった。
お金貯めて、貧乏でも、好きなように時間を使ってみようと飛び出した。
私にとっては、本当に正解だった。目標も目的もなにもないけれど、一日一日の美しさを感じながら過ごせる贅沢さに、初めて気が付いた。
飲んで気持ちよく風に吹かれて、たわいもない話をしよう。