運命代行人 【短編小説】
あるところに大金持ちの男がいました。
男は、ありとあらゆるものを持っています。
大きな屋敷、広い庭園、世界中の別荘。立派な車、仕立てのよい服、綺麗な宝石。
美人で気立てのいい妻と、可愛らしい子どももいます。
ある日、男はふと思いつきました。
「おれは今まで欲しいものはすべて手に入れてきた。更に先のことが分かるようになれば、さぞ面白いだろう」
男は使用人たちに命じ、その人の未来が見えるという占い師を捜し出しました。
黒いローブをまとった占い師の顔は分厚いフードで隠されており、よく見えません。その風貌や声は、若い青年のようにも、しわがれた老人のようにも思われました。
「さっそくだが、おれの未来を見てもらいたい」
「それは構いませんが、予知にはたいそう力を使います。その分報酬も弾んでもらわねば」
「ああ、好きなだけやろう。もっとも、予知とやらが本物だったら、の話だが」
「いいでしょう」
占い師は水晶に手をかざします。そして淡々と告げました。
「ふむ。あなたは明日、突然の雨に降られ、大切な商談を逃すことになるようです」
「――なんだって? 確かに明日は大きな商談があるが……」
翌日。外はとても良い天気でした。
どこの天気予報でも本日は一日中晴れだと告げています。
男は半信半疑で傘やレインコートを用意させました。
そして、運転手付きの立派な車で商談へと向かいます。
商談のある場所まであと少し。
「ふん。やはり未来が見えるなど眉唾ものか」
そう思ったときでした。
突然空が曇り始め、雷が轟いたかと思うと、バケツをひっくり返したような激しい雨が降り始めたのです。
「――雨だ!」
男が驚いていると、運転手が慌てて車を止めました。
「申し訳ありません、旦那様。どうやらこの先で事故が起こったようです」
突然の豪雨が原因で事故が起こり、道路は渋滞し始めました。
このまま待っていては商談に間に合いません。
「……当たった……」
予知が当たったことに呆然としながらも、男は用意させたレインコートを身に付け車を降りました。ひどい雨の中、傘を差し商談へと走ります。
商談相手は、土砂降りの中を駆けつけた男にいたく感激しました。
大きな商談は無事に成功したのです。
そんなことが何度か続き、男は占い師のことをすっかり信じてしまいました。
「次の報酬は、外国産の車を頂きたく思います」
「ああ、いいだろう。好きなだけ持っていけ」
占い師への報酬は天井知らずとなっていきます。
ある日のことです。
占い師はいつも通り水晶に手をかざし、重々しい口調で告げました。
「あなたは近々、不治の病にかかるでしょう」
「なんだって!」
水晶には、男がやせ細り苦しんでいる姿が映し出されています。
衝撃を受けた男は占い師に詰め寄りました。
「どういうことだ!」
「わたくしは、ただ見えたままを告げただけです」
これまで予知が外れたことはありません。
今までの予知は事前に聞いておけば回避の出来る内容でした。
しかし、今回はどうすればいいのか分かりません。
まだ見ぬ病に怯え、男は部屋に閉じこもるようになりました。
心配した妻と子どもが扉越しに声をかけます。
「あなた、閉じこもってばかりでは身体にもよくないわ」
「そうだよ! お父さん,」
「……」
男は何も答えません。妻と子どもは、しきりに励まし続けます。
「きっと大丈夫よ。ひとりで悩まず一緒に考えましょう」
「ねえお父さん、部屋から出てきてよ」
しかし、不治の病に怯えきった男の心に二人の思いは届きませんでした。
「ええい! うるさい、うるさい! お前たちに何が分かる! あっちへ行け!」
男は何日も部屋に閉じこもり、気遣う家族や使用人たちに当たり散らしました。
そして占い師を部屋へと呼び付けました。
「病気になるのはいやだ! 何とかならないのか!」
憔悴し懇願する男の姿を占い師は黙って見ています。
「いくらかかっても構わん! お前が望むものは何でも与えよう。頼む、なんとかしてくれ」
その言葉に占い師はにんまりと笑いました。
「これは禁じ手なのですが……ひとつだけ方法があります」
「どんな方法だ」
「あなたが不治の病にかかるという運命を、他の者に押し付けてしまうのです」
「……そんなことができるのか?」
「できますとも。ただ、運命を代行させるというのは大変なことですから、誰でも……というわけにはいきません」
「ふむ、それはそうだろうな」
「まったく無関係な人に代行させるのは不可能ですので、あなたの身近にいる方に、ということになります」
「なるほど……」
男は屋敷に出入りしていた若くて健康な庭師の青年に運命を押し付けることにしました。
ひと月後、青年は不治の病に倒れ、仕事を辞めて屋敷を去りました。
男はほっと胸をなで下ろし、占い師に多額の報酬を渡したのでした。
それからというもの。男は、未来を見て、悪い結果が出ると他人に代行させることに執着するようになりました。
結果を変えるために行動するよりも、他人に押し付けてしまう方が楽だったからです。
「明日あなたは喉を傷めます」
「明日はオペラ観劇だ。咳が出ては困るな。よし、運転手に代行させよう」
「言い間違いをして恥をかきます」
「俺が恥をかくと会社のイメージに関わる。秘書に押し付けよう」
「深爪をします」
「それは嫌だ。コックに移せ」
――それがどんなに些細なことでも。
気が付けば、都合の悪いことはすべて他人に押し付けるようになっていました。
そしてその度に占い師へ高い高い報酬を払い続けたのです。
男の屋敷からは段々と人が去り、男の財産はどんどん減っていきました。
「あいつに関わると不幸になる」という噂が立ち、周りの人々は男を遠巻きにします。
それでも、男は未来を見ることを止められません。
男はとうとう家族にまでよくないことを押し付け始めました。息子には風邪をひく運命を、妻には転んで怪我をする運命を。そんな男に家族の心も離れていきます。
妻は子どもを連れ、男の元から去っていきました。
大きな屋敷にいるのは、男と占い師だけとなりました。
なぜでしょう。
不幸を避けているはずなのに、ちっとも楽しくないのです。
幸せではないのです。
何年も運命を代行させ続けるうちに、男は財産のほとんどを失っていました。
それでも、もう後には退けず、男は未来を見ることを止められません。
ある日、男は不治の病になる運命を押し付けたあの青年が、新聞に載っているのを見かけました。
慌てて記事を読むと、そこには、
「新たに認可された特効薬が功を奏し、難病治療が進む」「病を乗り越えた青年は医師を志す。助けてくれた方々に恩返しがしたいと語る」などと記されていました。
男は愕然としました。
そして、大きな屋敷でひとりたたずむ自分が、なぜだかとても惨めな存在に感じました。
男は新聞をぐしゃぐしゃに握りしめ、感情のままに占い師を責め立てます。
「これはどういうことだ! 不治の病といったのに! 助かっているじゃないか」
占い師は憐みの表情を浮かべました。
「不治の病になる運命は確かにあの青年へ移ったのです。その後のことは知りません」
そう。青年は押し付けられた運命に打ち勝ち、新たな道を切り開いたのです。
大金持ちだった男は、荒れ果てた屋敷の中で狂ったように叫びました。
「お前のせいだ! こうなったのも、お前が運命を代行できるなどと言い出したから! 全部お前が悪いんだ! そうだ! お前におれの残りの運命をすべて代行させてやる! この屋敷も残った土地も、くれてやるよ! さあ、早くしろ!」
「……」
占い師は静かに水晶に手をかざしました。
すると急にあたりが真っ暗になり、男も、占い師も消えてしまいました。
それから数日後。誰もいない屋敷に、男の妻と子どもが戻ってきました。
優しい二人は、一人残してきた男のことが気がかりで帰ってきたのです。
「お父さん、ただいま!」
「あなた、どこにいるの?」
二人はがらんとした屋敷の中で男を呼びます。
その声に答えるようにして、奥の部屋から黒いローブをまとった占い師が現れました。
占い師は分厚いフードをめくり、妻と子どもに微笑みかけます。
「――おかえり」
占い師の姿を見つけた妻と子どもは一瞬だけ表情を失くし、それから嬉しそうに笑いました。
「あなた」「お父さん!」
駆け寄って来た二人を抱きしめ、占い師は微笑みます。
「よく帰ってきてくれた。……おれが悪かった。また家族皆で暮らそう」
「ええ。――あなた、なんだか顔つきが変わったみたい」
「うん。なんだか前よりも優しい顔をしてる」
自分に笑いかける家族の顔を見つめながら、占い師は小さく呟きました。
「……もう少し先まで見ていれば、あいつも家族が戻ってくることが分かっただろうに」
男は、気が付いたときには黒いローブをまとい、分厚いフードで顔を隠す占い師となっていました。
自分の名前も、過去も、何も思い出せません。
何か大事なものを失ったような気がしますが、それが何かは分かりません。
水晶で占いが出来ることだけはかろうじて覚えていました。
それ以外のことを考えると、ひどく頭が痛くなるのです。
男は、ふらふらと様々な街を流れ歩き、占いをしました。
あるところに貧乏な男がいました。
男は、何も持っていません。
家も、車も、まともな服も、仕事もなく、家族もいません。
ある日、男はふと思いつきました。
「占いでもしてみようか。おれは今までの人生で何一つ手に入れられなかった。これから先、良いことがあるとも思えないが、何か変わるかもしれない」
男はいつも路地裏にいる占い師の元へと足を運びました。
黒いローブをまとった占い師の顔は、分厚いフードで隠されており、よく見えません。
その風貌や声は、若い青年のようにも、しわがれた老人のようにも思われました。
貧乏な男は占い師に声をかけます。
「さっそくだが、おれの未来を見てもらいたい」
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