2020年7月の振り返り(ギフト)と8月のテーマ
★7月の振り返り
7月は自分にとって大きな出来事が二つあった。
一つは、友人のセッションを受けたこと。
過去一年半(特にここ二ヶ月ほど)、自分のやりたい方向は見えているのに、なぜかぐずぐずして、なかなか一歩を踏み出せなかったり、なんか遠回りしてしまったり、とにかくうまく動けていない感じがして、その原因を探るべく、セッションを受けた。
そしたら、原因がようやく分かった。父に対する反抗心だったり負い目だったりというものだ。それが足枷になって、自分が思い通りに動けていないことが分かった。
もう一つは、三浦春馬さんの死だ。
私はたぶん多くの人がそうであるように、彼の名前も顔も知っているけれど、特別ファンというわけではないただの一般人だ。
けれど、彼の訃報を聞いたとき、心臓がひゅっと縮み上がって、しばらく呆然として、現実感がなかった。そして、日を追うごとに彼がこの世にもういないことを徐々に実感してきて、YouTubeで彼の動画を見ては胸が苦しくなって布団にくるまって何度も号泣した。
彼の苦しみは彼だけのものであり、例え遺書を残していたとしても、それは彼の思考のほんのひとかけらでしかない。彼が抱えていた苦しみや葛藤は、彼以外、誰にも分らない。
ただ、かつて私が鬱だったとき、一度だけ「死」が身近に感じられた瞬間があった。そのことを思い出した。
そして、私が高校生のとき、身近な人をある日突然亡くしたことも、また、思い出した。
この世から去って全てをゼロにしてしまいたい、という生への絶望や苦しみも、遺された者が抱える壮絶な苦しみも、どちらも私は少しだけ想像できる。だからこそ、何とも言えない気持ちになる。
けれど、それでも私はやっぱり生きていてほしかった。こんな想いさえも、(死に逃げたくなる気持ちを知っているぶん)そりゃ、こちら側の人間のわがままだったりエゴであるのは重々承知しているけど、それでも、生きていてほしかった。今は、その想いしかない。
だからこそ私は「今、自分が息をして生きていること」それは至極当たり前に見えて、他の何とも比べ難い尊いことだということを、忘れずに生きていきたい。
生きていれば、日々、色んな悩みや問題が必然的に生まれてきて、そして私たちはそれらに思考も視野も奪われて、つい苦しくなってしまう。けれど、それでも「生きていること」。それが全てだ。それ以上は何も言うまい。
そしてそれと同時に、私にとって大切な人を大切にできる人生を送りたいと思った。いつどのタイミングで別れが来るなんて、本当に分からない。
高校生のときの知り合いの突然の訃報、そして今回の三浦春馬さんの出来事。失ってからでは何もかも全てが遅い。どんなに願おうとも死者が蘇ることは、決してない。だから、今ここにある幸せを噛み締め、自分の愛したい人を、ちゃんと愛していきたい。愛と感謝を伝えて、今、大切な彼らがこの世に息をして生きているという奇跡を、噛み締めたい。
そしてまた、自分を苦しめて、苦しめて、健全な思考を奪い、自身を破滅や死へと誘うものが現れたら、私は全速力で逃げる。それがどれだけリスクが大きかろうと、どれだけ周りの人間に迷惑をかけようとも、(薬学部を辞めたときのように)周りの人間が誰も賛成しなくとも、私は全力で自分自身を守り抜く。何を言われたっていい。ちゃんと息が出来て、生きていることが全てなのだから。
★8月のテーマ
「逃げない」
セッションを受けたことにより、過去の自分や弱い自分があぶり出されて、どうしても向き合って受け止めなければならないタイミングに来たように感じる。だから、過去の自分、弱い自分、それに伴う負の感情、それらから逃げずに、受け止め、受け入れ、そして自分を守ってくれてありがとうと優しく優しく、愛で抱き締めてあげたい。