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『継続する力』を養うには?
昔から、コツコツと努力を積み上げることが得意だった。
突出した才能はなかったけれど、努力を地道に続けられる自分のことは素直にすごいと思っていたし、コツコツと努力を積み上げられることは、私にとっての武器だった。
成功者はよく『続けることが大事だよ』と言う。
私もこれには共感できる。だけど、その『続ける』ってのが一番難しくねぇか? とも思う今日この頃なのだ。
――最近、『継続力』の大切さを思い知る機会が何度かあった。
詳細は省くが、とにもかくにも、「えっ、まさか自分にこんなサプライズ的なプレゼントが!?」と、嬉しいことがあり、驚きを隠せなかった。
そして、そんな嬉しい出来事に包まれながら、冷静な頭で私は考えた。このサプライズを引き起こした要因は何だろう? と。
私が導き出した答えはこうだった。
――これまで長く地道に続けてきたから。
私にとって、サプライズ的な嬉しい出来事というのは、すなわち、地道に続けていた何かが他人に見つかって芽吹く、ということだった。
ただ、淡々と、淡々と、ゆるく長く続けていたおかげで、運良く他人様から見つかった。そんな感じだ。
結果が欲しくて頑張ってたわけじゃない。だけど、周りに見つかるというのは素直に喜ばしいことだ。
じゃあ、どうやったら継続力を手に入れられるのか? これを読んでる人はそれが一番知りたいと思う。
私にとって、『継続』は、装置みたいなものだ。
一度スイッチを押せば、あとは自動的に、半永久的に同じ動作を繰り返してくれる。
『ゆるく長く』続けるにはコツがある。
まず、一番大事なのは、結果を欲しないことだ。
結果を得ることを求めるためにやる、のではなく、継続のためのモチベーションを『自分の内側』に作るのだ。
『結果』というのは、他人の評価だ。他人というのは『自分の外側』にあり、自分でコントロールできない領域だ。だからそこに比重を置こうとすると、うまくいかないときに辛くなって脱落してしまう。
そうではなく、『自分の内側』に行動のエンジンを置いておく。何のためにやるのか? と聞かれたとき、『自分のため』と答えられるように。そうすれば、結果に囚われて脱落することは自ずとなくなる。
私の場合だったら、『ただ、やりたかったから』とか『やることが日課になってしまっているから』みたいな答えになる。
継続力を身に着けたいときは、初期衝動だったり習慣の力を借りるといい。
それともう一つ。
『継続している』という自覚がないくらいがちょうどよい、ということ。
継続する、というとなにかこう……「よし! 頑張るぞ!」みたいな、張り切るイメージをするかもしれない。だけど、『継続』って、頑張るものじゃない、と私は思ってる。
先に書いた通り、継続=装置みたいなもので、ゆるやかに、長く長く、泳ぎ続ける。そんな感覚なのだ。
長く泳ぎ続けるために、頑張るのは逆効果で、むしろ、力を抜かないといけない。また、途中途中でしっかり息継ぎもしないと、長く泳ぎ続けることは、できない。
だから、頑張らない。長く泳ぎ続けるために、頑張らない。頑張らない。
毎日ずうーーっと頑張っていると、いつか溺れてしまうから。だったら今、あなたの全身に張り詰めるその力を、抜いてしまおう。そして、30〜60%ぐらいの力だけを使って、ゆるやかに進んでごらん。
そうすれば、長く泳ぎ続けられるから。
『結果』についても、触れておこうかな。
私にとって、結果というのは、地道に継続した先にあるボーナストラックみたいな感覚だ。
今までがそうだった。
淡々と、淡々と、『継続』を繰り返した先に、自分の想像を超えるプレゼントが待っていた。結果も見返りも求めず、黙々と、ひっそりと、続けていた先に『結果』はあった。
だからこそ、『継続』というのはすごく大事で、だからこそ、『継続すること』をどうやったら楽にできるだろうと今まで考えてきた。
すぐに結果を求めないこと。
自分の内側にエンジンを置くこと。
頑張らずに力を抜くこと。
3〜6割の力で生きてみること。
息継ぎを忘れないこと。
そして、これからも考え続ける。
『楽に楽しく努力する』が私のモットーだ。