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『黒澤文庫』って知ってますか?

 ―――何だ、この店は?

 私は立ち止まった。そこに書かれていた文字に、ハテナが浮かんだ。

『カフェ』と『文庫』というふたつの単語が、同じ看板の中に、一緒におさまっている。ジャンルのまったく異なるこのふたつの単語は、どっちも私の大好物だった。 私は、好奇心をまんまとくすぐられ、身体の中から面白い違和感がぶわっと湧き上がってきた。

『文庫』と名がつくってことは、本に関わるカフェだったりするのだろうか――?

 私はてこてこと店の前に行き、外にあるメニュー表をじっくり眺めたあと、『黒澤文庫』に入ってみることにした。

 いらっしゃいませ――と、店員さんの優しい笑顔に促され、足を進める。

 店内の一歩奥へ踏み入れた瞬間――不思議な世界に迷い込んだ気分になった。



 おもわず、「ふわーっ」と興奮の声が漏れそうになる。

 タイプライターや地球儀などが置かれた、レトロなインテリア。クラシック音楽が流れる、薄暗い店内。ぼんやりと手元を照らす、オレンジ色の優しい光。

 そして極めつけは――本だ。壁に、本棚、席の目の前にも本、そこかしこに本。顔を上げれば必ず本が目に入る。


「……なんだこの空間は!!!」

 本が大好きな私は、内心テンションがぶち上がった。(そもそもこのカフェに辿り着く前に本屋をぶらぶらしていた)

「お水にスライスしたレモンをお入れしてよろしいですか?」

 席に着き、やってきた店員さんにそう聞かれ、私はどきまぎと、「あ、はい」と答えた。
 私はカフェが好きで、カフェによく行く――とは言っても、普段はスタバやタリーズなど、チェーン店に入ることがほとんどだった。お水はセルフサービスというのが身体に染み込みすぎていた私にとっては、なんともホスピタリティを感じさせる問いかけだった。

「……なんだこの空間は。最高すぎる」

 もう一度感動を噛み締めながら、メニュー表を見て、とりあえず一番最初に書いてあった、おすすめっぽいホットコーヒーを頼んだ。

 ブラックコーヒーは苦手なので普段はラテ系のドリンクやミルクティーを頼むことがほとんどだ。

 だが、この店で淹れるコーヒーは多分――というか絶対に美味しいに違いない、と飲む前から確信していた。

 なぜかというと、メニュー表を見れば『黒澤文庫』がコーヒーのこだわりや美味しさに自信を持っているのがありありと伝わってきたから。

 以下は公式HPから引用させてもらった『黒澤文庫』のメニュー表だ。


 絵本のようなイラストが、不思議で愉快な世界に迷い込んだような気持ちにさせてくれる。



 ミルクはおつけしますか? と聞かれたので、はい、と答えた。一応、もし苦すぎて駄目だったときの予備アイテムだ。


 コーヒーが来るのを待ちながら、そわそわする。すぐ後ろの本棚を見て、面白そうなのを手に取っては、ぱらぱらめくって、読んでみたりする。

知ってる本も知らない本もたくさんあって
またまたテンションがぶち上がる(笑)
直木賞受賞作のテスカトリポカも発見!!


 ブックカフェ(本屋とカフェが併設された店)とはまた違う――この味わい深さは一体なんだろう。私はどこからともなく流れてくる軽快なピアノのメロディーに身を委ねながら、『黒澤文庫』という空間に、ただひたすら、酔いしれた。


 しばらくして、お目当てのコーヒーがやってきた。

 薔薇のマークがあしらわれた、鮮やかな赤――カップとソーサー。そしてちょこんと添えられたミルク。

 一気に手元が高級感のある空間になる。私はどきどきしながら、カップを手に取り、ふわりと漂う香りを鼻ですうっと吸い込みながら、コーヒーを一口飲んだ。


 ……うん。にがい。

 ただ、それでも私は飲むのをやめなかった。苦いけれど――どこか爽やかな後味。気づくとごくごく飲んでいた。あっという間に飲み干してしまった。ミルクは一滴も入れなかった。

 やはり、私の目に狂いはなかった。
 この店のコーヒーは、美味しい。

 コーヒーを嗜みながら、自分の席の目の前にも本がずらっと置いてあるので、その本のラインナップも、じろじろと観察する。

小説だけかと思いきや……そんなこともない。


 写真を見れば分かる通り、席の目の前にある文庫本は、表紙が外されている。そのため、タイトルと著者、そのたった二つの情報から選ぶしかない。

 普段、本屋に行くと、気になった本を何冊か手に取るのだが――本に手が伸びる基準というのは、たとえば表紙のデザインであったり、帯のキャッチコピーであったり、裏面のあらすじであったり。そういう外側で確認できる情報源から、自分と本の相性をチェックする。 

 だが、カバーを外されてしまうと、事前に入手できる情報が激減する。あらすじすら分からないから、どうしようもない。

 とりあえず、手に取り、開いて、読み進めるしかない。これが恋愛小説なのかミステリー小説なのか、ほっこり系なのかどんでん返し系なのか、よく分からないまま読む――

 すごい。こんな体験今までしたことがないぞ――と、わくわくしながら読んでみる。

私がチョイスしたのは
中村航 『100回泣くこと』


 

 逆に、タイトルだけで、一気に興味そそられるものもあった。

 一番右端の本を見てほしい。もうタイトルだけで気になりすぎてしまう。

 ――何が書いてあるんだろう?

 例えば本屋に行っても、私は、この本が置いてあるコーナーに足を踏み入れることはないだろう。

 私はこの『オーガズム・パワー』をためしに読んでみた。タイトル通りの内容で、この本には「女性の性行為」に関する調査内容や、性体験に関してのアンケートで、女性が本当に思うところが赤裸々に書かれていた。大変興味深い内容で、面白かった。


 あとは、自分の席以外に、インテリアだとか、本棚とかにはどんな本が置かれているのだろう――と、気になり、店内をうろうろさせてもらう。

窓際の席。
ずらっと文庫本が並んでいてこれまた圧巻の景色。


 また、本のラインナップも凝っていて、席ごとにまとめている本があるひとつのジャンル縛りになっていたり――


 芥川さんの全集とか、ドストエフスキーさんの全集とか、超マニアックな本がずらっと揃っていたり。とにかく色々すごい。こだわりがパない。

 図書館かよ……と突っ込みたくなる(笑)


 また、『黒澤文庫』は、どの店員さんも適度にフランクで親切な雰囲気を漂わせていて、とても好感が持てた。

 例えば、私より後にやってきた女性二人組のお客さんがどこの席にするか迷っていると――私もそうだが、初めてこの店に入る客にとってはとにかく興味深い空間なので、席選びに戸惑うのだ――

「どうぞ奥にもありますので、色々と見て回ってから決めてくださっていいですよ」

 と、優しく促したり

 少し大きめの長椅子の席を選んだお客さんが、椅子をうまく引けなくて困っていたら、さっと後ろからお手伝いをし、背もたれを押し引きしながら「ここらへんでいいですか?」「もうちょっと引きますか?」と丁寧に対応していたり――

 そんなふうに、なんか、心が、じーんとさせられるような瞬間が、何度もあった。『黒澤文庫』の店員さんを見ていると、自然と優しい気持ちになってしまう。

 実は、ここ最近、私はとにかくメンタルがズタボロだった。ネガティブにネガティブを極め、半パニックになったり、度重なるストレスのせいでキリキリ胃痛に悩まされたり――とにかく、ここ一週間、いや、一ヶ月ほどは、本当に色々ありすぎて精神が参っていた。

 なのに、この最高すぎる空間は一体なんだろう――

 ストレスがみるみる浄化され、思考も前向きになる。穏やかな気持ちで本を眺められたり、緊張状態が解けずガチガチに苦しんでいた私の身体が、みるみると休まって、優しさと喜びに満ち溢れていくのが分かる。

 ――あぁ、出会えてよかった。ありがとう。『黒澤文庫』。

『黒澤文庫』は日本橋にある。私はこの日、たまたま用事があって日本橋の近くに来ていたおかげで、幸運にもこの店と巡り合うことができた。


 本当に良すぎる空間だから、毎日でも通いつめたいぐらいだ。私が銀座に余裕で住めるくらいのリッチウーマンになったら、この店の近くに引っ越してもいいかもしれない――そう思えてしまうぐらい、わたしにとって『黒澤文庫』は最高のカフェだった。

 最後のお会計のときに、店員さんに『すごい良かったです』と、がんばって私のこの気持ちを伝えた。(興奮すると語彙力がとたんにゼロになるのはなぜ?)

 聞けば、もうすぐオープン一周年らしい。飲食業にとって向かい風であるこのコロナ禍で、実におめでたいことだ。

 また日本橋に来るときは、必ずこの店に立ち寄ろうと思う。そして、本に囲まれるレトロで不思議な空間と共に、私の心と身体をたっぷりと満たしてあげたい。

店員さんは、つなぎがユニフォームでした。
珈琲農園の作業着をイメージしているそうです。


 余談だが、この日、用事を終えた後、なんとなく「新しいお店を開拓したい」という気分で、街をぶらぶらしていた。銀座にはカフェがたくさんあるので、グーグルでカフェを検索したり、実際に店の中を覗きながら、「う~ん。なんか違う」と、とにかく歩き回って、最終的に「どこもピンとこないからスタバに行こう」と決め、スタバに向かっていた途中に出会ったお店だった。大袈裟かもしれないが、『黒澤文庫』というお店にたどり着いたとき、「運命の出会いって、あるんだな」と、感じさせられた。

『黒澤文庫』公式HP

『黒澤文庫』公式Instagram


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