『君に届け』の風早くんに憧れていた、とある人見知りの女の話。
――いいなぁ。私も風早くんみたいになりたいなぁ。
当時15歳だった私は、絶賛人見知りだった。一応、最低限のコミュ力はあるから、ぼっちとかになることはなかったけど、交友関係はそんなに広くなかった。
そういうとき、決まって憧れるのは風早くん。
風早くんというのは、少女漫画『君に届け』に出てくる、超絶爽やかなクラスの人気者である。
高校から帰宅すると、すぐに本棚から『君に届け』を取り出して、風早くんがクラスメイトの皆に囲まれて楽しそうに笑っているシーンを読んでは、心の中で、切実に、憧れていた。
――いいなぁ! こんなふうに人に囲まれる人って!
当時の私は、なんでか分からないけれど自分の人見知り気質に対してものすごくコンプレックスがあり、そのコンプレックスの裏返しみたいな感じで、自分とは正反対の風早くんに憧れていた。
特に、高校生くらいになると、女子は女子同士で固まって、男子は男子同士でつるむ、みたいなのが暗黙のルールだったりする。
女子の中でもまたグループが小分けにされていて、違うグループの子だと、会話をしても、なかなか馬が合わなくて、きまずい雰囲気になったり。
だからこそ、風早くんみたいに『誰とでも分け隔てなくコミュニケーションができる』ことが、私にとってはすごく憧れだった。渇望していたともいっていい。
だから私も『脱・人見知り!』をして少しでも風早くんに近づこうと、奮闘を――
……できたり、できなかったり、した。
できても、普段喋らない人がいきなり喋りかけることになる。クラスメイトにびっくりされて、変な顔をされたこともたびたびあって、そういう場面に遭遇するたび、なんとも言えない気持ちになったりした。
あるときは、下駄箱で会ったそこまで親しくないクラスメイトと会話をつなごうと、無難に天気を話題にして振ったはいいものの、会話は二秒で終了したり。
逆に、きまずくなるのが怖くてマシンガントークを炸裂させて、相手に相槌を打たせる余裕すら持たせなかったり。
そういう試行錯誤が全体の二〜三割くらいだろうか。残りの七割強は人見知りが発動して、単に勇気を振り絞れず、行動に移せなかった。
そんな私の努力は実を結んだのか?
正直、よく分からない。けれど、学年をあがるごとに、少しずつ、ほんの少しずつだけど、異性のクラスメイトに話しかけることに慣れたり、おかしなマシンガントークを炸裂せずに済むようになったりは、した。
しかし、それでも憧れの風早くんとはほど遠かった。
私はやっぱり『クラスの人気者』になりたかったし、心底憧れていた。
そして高校を卒業し、大学入学を機に、私は決意した。
――そうだ。大学デビューをしよう。
と。
春休み、毎日トイレで『私は社交的私は社交的私は社交的』と、ブツブツつぶやいて潜在意識に刷り込ませた。アファメーションというらしい。効いたのかは未だによく分からない(笑)
そして、決めていたことが一つ。
『入学初日から、自分は社交的な人間としての振る舞いをする』
と。
高校のときは、『コイツ、普段は自分から話しかけてこないタイプなのになんでいきなり俺に話しかけてくるんだ!?(驚汗)』と、いろんな人にびっくりされて、変な気持ちにさせてしまった。
だからこそ、「出会った一秒目から社交的な人としての振る舞いをしてしまえば、もう私は『社交的な子』という認識になる。そしたら、いろんな人に分け隔てなく話しかけたって、変な顔はされない」と、いう確信があった
そして私は、己に固く誓った通り、入学初日から、講義初日から、実習初日から、いろんな人に声をかけまくった。もちろん、男女問わず。
講義ごとに席は変わるから、そのたびに、まだ知り合いになっていない、前後左右どちらの席の人に自分から声をかけた。入学当初はたぶん、一日で六、七人ぐらい初対面の人と話していた記憶がある。(そしてそれを三週間ぐらい続けていた)
『話しかけた者勝ち!』と思っていたし、事実、それは間違いじゃなかった。入学したてだったから、余計チャンスだった。文字通り、たくさんの人と喋ったおかげで、不自然でない滑らかな会話もできるようになった。
次第に『あの子は社交的』みたいなレッテルを貼られるようになり、友達や顔見知りの人数もぐんぐんと増えていった。
――もう、大丈夫。
授業の中で、ランダムでグループが組まれても、知らない人とペアにならないといけない場面でも、私は平気になった。
――だって、話せばいい。
私は入学初日からの『知らない人に話しかけまくるぜキャンペーン』のおかげで、初対面が全く怖くなくなった。
むしろ、初対面の人と話すのが大好きになった。
我ながら、ここまで変化するとは思わなかったけど、私は、私がなりたかった『風早くん』に、少しでも近づけた気がして、大学デビューしてよかった、と心底思った。
だから、大学以降に知り合った人たちに「昔は人見知りだったんだよ」と伝えても、「絶対嘘だ!!」と、必ず言い返される。うん。まあ、そうなるよね(苦笑)
――そんなわけで、私は人見知り出身、現・社交的人間になった。
人見知り時代があるおかげで、今でも人見知りの人の気持ちはよく分かる。
人に話しかけようと思ってもどうしても勇気が出ない不安な気持ちとか、会話が気まずくなったときのなんとも言えぬ気まずさとか自分の乏しいコミュ力に対する自己嫌悪とか。
――それこそ、社交的で自分からガンガン声をかけにいける人に対する憧れとか。
風早くんのように、昔からの、根っから、社交性を持ち合わせている人ももちろんいる。だけど、私は人見知りだったから。
だから、成長できたことが嬉しい。
そして、人見知りの気持ちが分かることも、嬉しい。
大勢で話しているとき、会話に溶け込めずにいる人につい目がいくし、ぽつんとしてる人を見かけたら、話しかけちゃおうかな、と自分からアクションを起こしたり。
もちろん、話しかけられたくない人もいると思う。でも、相手の気持ちは、分からない。だって、私はエスパーじゃないから。
それでも、今までの経験上、喜ばれる方が断然多かった。
『すずちんさんが話しかけてくれて嬉しかったです』
『初めての場で緊張してたけど、すずちんが最初に話しかけてくれたのがすごく嬉しくて今でも覚えてるよ』
――恩の先出し、という言葉がある。
私は、アクションの先出しを心がけている。
自分から挨拶する、自分から名乗る、自分から話しかけにいく。
それは、楽しいのと同時に、やっぱり私自身が人と話したいから、繋がりたいから。
だから、これからは私も色んな人に話しかけるし、色んな人と繋がっていく。
今の私は、風早くんなのかは分からない。
……というか、風早くんじゃなくてもいい。
だって私は、今の私に満足している。
誰かと誰かとを繋いだり、人の和を広げていったり、私と出会うことで笑顔が伝染すればいいと思う。
……高校生の私が見たらびっくりするだろうな。
こんな私にもなれるんだぞッ! と、ちょっと胸を張りたい気分。笑
できなかったことができるようになるのは、嬉しい。
話しかける、という行動を躊躇なく選択できる自分が嬉しい。
これからも、成長していけたらいい。いろんなことを、いろんな場面で。
高校生の自分へ。
――あなたが変わりたいと思ったから、変わることができたんだよ。
――あなたが自分を変えたいと思ったから、私は変われたんだよ。
――あなたの憧れの『風早くん』とはちょっと違うかもしれないけど、でも、今の私は『誰とでも分け隔てなく』ができる自分になってるよ。
――少し先の未来だけど、そんな自分に生まれ変わる日が来るのを楽しみにしててね。
――ありがとう。変わろうと努力してくれて。あなたのその気持ちが、私はとっても嬉しいよ。
――大丈夫! あなたの未来は絶対明るい!