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弱くて、脆い。ひとりじゃ生きていけない。それが自分。

自分は、弱い。とにかく弱い。びっくりするほど弱くて、脆い。ほんのささいなことで、心はあっという間に傷つくし、ずうんと落ち込むし、すぐウジウジしてしまう。

そして、弱くて脆いくせに、ひとりで抱え込みがちだ。先日も、そんなことがあった。ちょっと、ひとりでは処理しきれない重いものが自分にのしかかってきて、でも誰にも言えないし――と、ひとりで悶々としていたら、状況が悪化してしまって、あぁもう無理だ、と思って、そこまできてようやく、他人にヘルプを求めた。今回の場合は、母親だった。

本当は、もっと早くに話したかったし、助けてって、言いたかった。でもやっぱり、助けて、と手を挙げることに、私は少なからずというかまあまあなハードルを感じてしまって、どうにか自分ひとりで解決できないかと、ぎゅっと胸の中にしまいこんで、ひとりでなんとか処理しようとする。弱くて、人一倍脆いくせに、そういうところはすごく強情なのだ(笑)

「電話してくれてよかったのに」と、母親は言った。私は申し訳なさと遠慮からできなかった。でも、実際に相手からそう言われたおかげで、次に母親に頼るハードルがかなり低くなったように感じる。

年々、生きづらさを都度都度色んなタイミングで味わう。生きづらさは、弱さだ。そして弱さは、悪いものではない。弱いということは、他人に寄りかかりながら生きるということは、それはある意味の強さだ。「私ってこれくらい弱い人間なんです。だから助けてください」って肚を見せられるのは、すごくすごく強いことだと思う。けっして、依存でもない。

分かち合い。辛くて重いことを、他人に伝えたら、自分の心がようやく息ができるようになった。重荷がゆっくりと溶けていって、澄んだ心を取り戻せるようになる。

だから私は、これからはもっと早く、辛いことがあったときに、誰かに分かち合えるようになりたいと思う。それは、自分の生きづらさを解消していくために必然的な要素であり、なにより自分自身が幸せに満ちた人生を送るための、大切なファクターであることに間違いはないのだから。

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