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辛いときに「辛い」と言えたらいいのになぁ

今日は朝からどん底のメンタルだった。朝起きた瞬間から「あ、これやべえヤツだ」と頭の中で冷や汗が流れる。
というのも、ここ数ヶ月なかなか私のメンタルは不安定の低空飛行で色んなことで自信もゴリゴリに削られて、頑張る気もどんどん削がれて、なんかうまくいかなすぎてもうどうしたらいいのかよく分かんないみたいな地獄の魔のループに突入しまくっていた。
特にここ数日は謎の吐き気(?)のようなものもあり(おそらくストレスとプレッシャーからくるもの)、私の今朝の顔はまるで死んでいたと思う。

「あぁ……もう、限界。つーか限界超えてるわこれ……」

身体も、心も、満身創痍のボロボロで。はっきり言ってこのまま今日一日をまともに過ごせる気がしなかった。そこまで限界が来ていた。

うーんうんと悩みに悩んだ末に、前からお世話になっているセミナー仲間のグループLINEに「メンタルがしんどいので誰か時間ある人私と電話してくれませんか」と投稿。

正直、これだけでも死ぬ思いのバンジー。今までしんどいとき悩みをLINEでメッセージを送って相談することはあったけど、本当は電話で誰かと話したかった。私は誰かに話したかった。吐き出したかった。

でも今まで「しんどいから電話したい」と誰かにお願いすることは私にとって死ぬほどハードルが高くて、なかなかできなかった。

が、今朝はそんなことで迷っている暇さえないぐらいに、メンタルが死んでいた。ので、もう「エイヤ!!!!」という気持ちでメッセージを投稿した。

結果、何人もの人が「大丈夫~??」と連絡をくれて、今日は一日電話三昧だった。

ひとりにつき1、2時間ぐらい話して、終わったら次に連絡くれた人に電話かけて……というわんこそば形式。

正直、そのどの人にも電話をかける瞬間は緊張する。なかなか発信ボタンを押せない。それぐらい私は「自分の辛い気持ちを他人に話す」ということが苦手だった。

「辛いことを辛いと言う」

文章にしてしまえば、とても単純でありふれたこと。でもそれができなくて大学時代、潰れた過去があった。だから今日は色んな人に「今これこれこういう状況でこんな風に辛いんです」と、辛い気持ちを隠さずそのまま話した。

電話をして話を聞いてくれた人はもれなく全員、私のそんな感情や悩みやらを、一切否定することもなく、変な突っ込みを入れることもなく、ただただ真摯に私の話を受け止めてくれた。

私が他人に悩みや弱音を打ち明けるのにハードルを感じる理由は「打ち明けても、否定したり、頭ごなしな言葉やアドバイスをされる」のが怖いから、というのが一つあった。私にとって弱音や悩みを他人に話すときは大抵メンタルがよわよわなので、そこで相手からの一撃をくらって余計傷つく、みたいなことが過去にあったのだ。

でも今日は違った。誰一人そんな対応をする人はいなかった。

私の話すことは誰が相手でも内容は同じだけど、相手によってもちろんアドバイスは違う。でもどれも私にはなかった考えや視点だから、ためになることばかりで、今日はセミナーを一日がっつり受けたぐらいの収穫があったと思う。その人なりに「それはこう考えたらいいんじゃない?」「こういう視点を持ってみるかもよ」と、面白いぐらいに色んなアイディアや視点が相手の口から飛び出して『他人ってすごい』と、本当に感動した。

そして、最近は誰かと雑談することがかなり減っていた私。実家暮らしだけど家族とはなるべく距離を置いていて、仕事でもタイミングが合わなければひとりで過ごしていた。

だから、今日は電話で悩み相談をしたわけなんだけど、もちろんその相談コーナーだけで電話が終わるわけではなく、日常の些細な出来事とか、昔あったことの気づきとか、自分や相手の近況だとか。とにかく、どうでもいい、楽しくて、生産性のない話題。いわゆる『おそゃべり』。そう、私は最近『おしゃべり』を全くしていなかったので、電話でも話題に事欠かなかった。べらべらと延々と話しまくったし、相手の話もたくさん聞いた。『雑談』って、『おしゃべり』って大事だ。コロナ禍で人に会う機会が減るぶん、そんな『おしゃべり』する時間やタイミングも知らず知らずのうちに減ってしまっているのだろう、と思った。

それと、電話した相手はみんな『話せて楽しかったよ』と言ってくれたこと。
悩み相談とか愚痴となると、どうしてもネガティブな感情とかエネルギーが出てしまって、相談に乗ってもらっている相手にそのネガティブ因子をぶつけてしまう気がして、そういう意味の申し訳無さもあって、私はなかなか『愚痴聞いてよ』と人に言えない。

でもそういう捉え方すらも、結局は私自身の考えでしかないというか、むしろ悩んでる私をオモロイと言ってくれる人もいたし、絶賛練習中のヒーリングで私を癒やしてくれる人もいて、悩み相談をすることは、相手に決して負の影響を与えるわけじゃないのだな、と。それも一つ学びになった。

話を戻そう。

辛いときに、辛いと言う

それができるようになるまで、三年。でも今日ようやく、ようやくできた。できなくて苦しかった。しんどかった。言えないから余計ためこんで辛くなるぶん、できない自分を責めたし、だからこそ人一倍、できるようになりたいと思った。

今日、ようやくできた。もう一生できないかと思うぐらい自分にはハードルが高いことだった。でもできた。聞いてくれた皆は優しかった。

今日の自分は、つい昨日まで「絶対できない」と思ってたことを、やってみせた。できた。時間はかかった。でもできるようになった。

辛いときに、辛いと言う

それができた自分が、今日ここにいる。

Aqua Timezの『決意の朝』より歌詞一部引用

ついこの前まで『あぁそうそう、言えないんだよなぁ』と、共感しながら聴いていた歌詞の意味が、今日、変わった。

『今までは言えなかったけど……今日やっと、言えるようになったんだな』

そんな、安心感に包まれた。

大学時代の言えなかった自分や、言えるようになるまでもがきながら努力した3年間を思い出して、号泣しながら眠った。

――2020年11月のとある日の出来事。

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