箱庭
天啓
「1人だけ、二度目の生を与えよう」
ルカ(11月3日)
家を飛び出してから一時間。今回はいつもより長く抜け出せている。アオイは起きるのがいつも遅いし、ソウマくんはアオイの護衛で付きっきり。ミツギさんは僕のお世話係だけど、アオイが起きるまでいつもどこかへ出かけているから、バレていないはず。今日という今日は、絶対に外に出る!
これまで何十回と家出を試みたけど、成功はなし。門の前でミツギさんと鉢合わせたり、門をくぐり抜けたと思ったら、森に迷ってアオイに助けられたりと。今回は長く逃げられているけど、一時間以上経って未だに走り続けても、街らしきものは一向に見えず、ただただ森の中を進んでいる。
「もしかして本当に街なんてないんじゃ……」
ホラ話だと思っていたものが、だんだんと現実味を帯びてくる。僕たち以外、この世界には誰もいないのだろうか……。
足をゆっくりと止め、その場にしゃがみ込んだ。もう一時間以上も走ってしまった。今から戻るのもつらい。早くミツギさんのごはんが食べたい。めんどくさいと思ってたけど、ソウマくんのアオイ話が恋しい。なにより、アオイに会いたい。
「寂しくなってきた」
お腹が減って仕方ない。
カサ、カサと、草の上を踏み歩く音が近づく。もしかしてと思い、咄嗟に振り返ると、頭に思い浮かんでいた人物が立っていた。
「アオイ……」
「涙目だな。まだ森は明るいのに、怖くなった―――」
「っ!」
寂しかった感情があふれ出して、咄嗟にアオイに抱きついた。両隣にソウマくんとミツギさんがいた気がしたけど、恥ずかしさよりも嬉しさが勝った。
「……背伸びたな」
僕がまだ赤ちゃんの頃にアオイたちに拾われたから、そう言われると感慨深い。いつのまにか彼女の背を越していた。
「そろそろ離れよっか」
「ぐえ」
ソウマくんが僕の襟の後ろを掴んで、アオイから引きはがす。
「ルカ様、今日はいいお野菜が大量に採れましたので、お昼は天ぷらにしましょう」
「やったー!」
さっきまで寂しかったことなど忘れてしまって、ミツギさんの作る天ぷらを想像する。
「帰ろうか」
わくわくしながら帰路を進もうと前を見た時、いつのまにか目の前には見慣れた家があった。毎度のことだが、やはりおかしい気がする。
「ねぇ、いつもどうやって家動かしてるの?」
「知らん」
はい、終わり。
ミツギ(11月8日)
11月3日以降、ルカ様の毎日続いていた家出はなくなった。アオイ様の「街がない」話を信じ込んでしまったのだろう。実際街はある。アレ以来長く行っていないが、人は数えきれないほどいたし、戦争も終結したはずだから、平和な国になっているはずだ。
天啓を受けてから16年。私は毎日、鐘の塔へ赴いている。神のお告げを待っているのだ。アレから箱庭は綺麗な状態を保ち続けていたが、ルカ様が来られてから、少しずつ崩壊に近づいていた。異物が混じったせいか、永遠の箱庭は、永遠ではなくなってしまったのだろう。
今日も天啓はない。このままでは、皆がバラバラになってしまう。離れ離れになって、孤独になってしまうのは避けたい。避けなければならない。もう一人、ここを出る方法を探さなければ。
「返さなければ、いけないのに……」
あの人たちに救ってもらった恩を。あの方が最も大事にされているルカ様を孤独にさせないために、この中途半端な生を無駄にするわけにはいかない。
「ミツギさんおかえり!」
ルカ様のあの笑顔が絶えないためにも。
「ただいま」
私は役目を成して死ぬ。
ソウマ(11月10日)
「相変わらずだね」
ミツギは相変わらず、あの塔へ行っている。朝昼晩、時間ができたら天啓を求めて。神様は優しいわけじゃない。ただ俺たちのこの状況を楽しんでいるだけ。そんなのに頼っていたって、ただ天の上からゲラゲラと笑われているだけだろうに。
「自分がここから出るって選択肢は頭にないのかね」
毎日ああいう献身的な姿を見ると、どこか無性に腹が立つ。
「今日はおしゃべりだな、ソウマ」
髪を梳かされている恋人が、楽しそうに喋る。
「あいつは賢いのに、変なところがバカだ。もう話し合った方がいいよ。ここもいつ崩れかわからないし」
彼女の髪をこうやって梳くことすら、今では奇跡だというのに。
「大丈夫だよ。ルカがいるから」
またルカ。俺がミツギのああいう無駄な行為を嫌ってるのをわかっていても、アオイは何もせず、俺にも何もしないよう口止めしているだけ。ルカは俺たちとは違って長生きはしていないし、数えるのもうんざりなほど歳は離れている。まだまだお子さまのルカに、何を求めているのか。恋人の俺でも、アオイの考えていることは何一つわからない。
「はい、終わったよ」
「ソウマ」
「何?」
「神は誰がここから出るのかを知っていても、終わり方は知らない。神の唯一の失態は、ここにルカをとどまらせたことだよ」
「……神様に欠点はない。最初から負けだよ」
神様が好きなわけじゃない。アオイを否定したいわけじゃない。ただ、もう希望にはうんざりなんだ。
希望のせいで、またお前を失うんじゃないかって。
アオイ(12月1日)
ルカがここに来た日が懐かしい。あの日も森は霧に包まれ、雪がパラパラと降っていた。赤子だったルカの頬や鼻は赤く染まっていて、腕に抱いた時、忘れていた人の温もりを思い出して涙を流したのも、昨日のことのようだ。
「そういえば、天啓も16年前のこの日だったか」
「アオイー!これ見て!」
白い何かを両の掌に載せたルカが駆け寄ってくる。
「白うさぎか。まだ浅く積もっているだけなのに、どうやって作ったんだ?」
「ミツギさんが屋根に積もってた雪下ろしてくれた」
「なるほど。……」
頬と鼻が赤い。ずっと外で遊んでいたんだろうな。
「ルカ、それは玄関先に置け」
「うん」
白うさぎを置いた後、すぐにルカの両手を自分の両手で包み込む。
「ダメだって!今すごく冷えてるから」
「そうだな。元々冷たい私の手じゃ、意味がないな」
「そうじゃなくて!ん~。ちょっと待ってて!ソウマくん!」
慌てて家の中に入るルカを見送り、自分の掌に目を向ける。私はいつも、ルカに温もりを与えてあげられない。体温なんか、どうでもいいと思っていたが、ルカのこととなると、必要だと思わされる。ルカと接するたびに、生きることへの欲が出てしまう。あのクソ野郎は、私が生にしがみつくのを見たがっているんだろうな。
「アオイー!」
駆け寄ってきたルカに両手を包み込まれ、何か温かい物に触れる。
「ソウマくんが作ってくれた懐炉。これでアオイもあったかくなるよ」
「……温かい」
やはり体温はいらないのかもしれない。ルカがいるだけで、温もりを感じられる。
もう十分、この子から幸せをもらった。
ギシッ。
「そろそろあのバカを怒ってやらないとな」
この馬鹿馬鹿しい神の遊びを終わらせよう。
ミツギ(12月1日)
アオイ様から「話がある」と部屋へ呼ばれた。主の計らいか、ソウマはルカ様を連れて森へ遊びに行った。おそらく、ここから出る話をされるのだろう。私を呼んだということは、主もソウマも、考えは同じなのだろう。
「ミツギ、もう終わらせようか」
かつての主の威厳を感じさせられる。お前は何も言わず、ただ聞いておけと、そう言われている気がした。
「察していると思うが、天啓の一人はお前にする。ソウマも同意見だ」
今までの行いは無駄だったのかと、後悔や怒りが募る。
「お前の意見も聞いてやるが、それは一週間後だ」
「え……?」
「私とソウマはしばらくここを離れる。お前はルカとここに残り、考えを固めておけ」
アオイ様は、いったい何をお考えなのだろうか……?
「私は、天啓が再び来るのを待ちます」
「なぜ?」
「アオイ様は伴侶であるソウマと離れてはなりません。何よりルカ様にとって貴女は家族同然。決して離れてはならないのです。せめてあと三人。私以外の皆がここを出られると天啓が来るまでは……!」
ガタン。
崩壊の音が、聞こえた。確実に最期は近づいている。あと一週間。その間までに天啓を受けなければならない。別れはあってはならない。
「アオイ」
森から帰ってきたソウマが部屋に入る。
「ミツギ、行ってくるよ」
アオイ様はソウマとともに部屋を出て行ってしまい、私はただ、その背中を見つめることしかできなかった。
ピキッ。
12月4日。アオイ様とソウマが家を離れた日から、塔で天啓を待ち続けて三日が経つ。間違っていないはずだ。アオイ様は私を否定しなかった。私は間違ってなどいない。天啓は来る。崩壊のギリギリまで待ち続けてみせる。私の生涯の恩人に、唯一の友に、果たせなかった恩を返すために。
カタ。
最近、ここからでも崩壊の音が聞こえるようになった。大丈夫。天啓は来る。来るはずなんだ。きっと……。待ち続ければ……。
思ひ出
『私のところにおいで』
そう言って、葵は青年に手を差し伸べた。その青年は後に、巳継と名付けられる。
葵は巳継を拾う一年ほど前に、最後の家族であった父親を亡くし、16歳という若さで当主になった。子爵の生まれであったが、父親は自分の死期が近づいていたことをわかっていたのか、葵のために多くの財産を残していた。けれど、葵はそれに手をつけることはほとんどなかった。雇っていた給仕たちに一年分のお給料を渡し、彼らを解雇した後、葵は孤独となった。
そんな中出会ったのが、巳継だった。彼はとある公爵と愛人の間に生まれた子で、継母に疎まれ、母親とともに家を追い出されてしまった。唯一の拠り所であった母親を亡くし、母親と暮らしていた家も追い出され、途方もなく彷徨っていたところを救ったのが、葵である。
葵にとって巳継は、家族であり、巳継にとって葵は、恩人で、拠り所だった。この時、葵は巳継の一つ歳上だった。
巳継は給仕として葵のもとで住み込みしながら働いていた。二人が出会って二年が経つと、葵は事業を成功させ、巳継が学校へ行くための資金を自身で貯めることができた。そのことを巳継に話すが、彼は「申し訳ないです」と頑なに拒否し、葵も負けじと「じゃあ行け」と、結局命令という形で受け入れさせることに成功した。その日の夜、巳継が無意識に豪勢な食事を用意したことを、葵はアレ以来からも未だに憶えている。
地頭がいいのか、巳継はすんなりと大学に受かった。暇ができたら毎日のように図書館に通っていたので、葵が学校を勧める前から学力はそこそこあったのだろう。葵はその日を形に残そうと、巳継と二人で写真を撮った。
大学では、充実した生活を送っていた。巳継は才色兼備であったせいか、よく女生徒に囲まれていたが、葵がよく迎えに来ていたので、意外とそういうこともなくなってしまっていた。
『ねぇ。お願いがあるんだけど』
相馬との出会いだった。巳継がベンチで本を読んでいた時に、相馬が声をかけてきた。当時相馬とは同い年だったが、巳継よりも早く大学に入っていたため、二年上の先輩だった。初めは相馬を「先輩」と呼んでいたが、「同い年だし名前でいいよ」と言われてしまった。唯一敬称なく名前で呼ぶのは、彼が最初で最後であった。
当時の相馬は、講義をよくサボるほどの不良で、女生徒や女教師をとっかえひっかえしているという噂があった。サボることが多々あったのは本当のことだが、噂においては全くの出鱈目で、彼を個人的な理由から恨んでいる男子生徒たちの仕業であった。実際の彼は、寄ってくる女生徒たちを門残払いしていた。そこで巳継に目を付けたのである。巳継もかつては女生徒たちに囲まれていたが、葵の影響でそれがなくなったため、彼の傍にいれば面倒ごとがなくなると考えたのだ。そうして狙い通りに、相馬の取り巻きはいなくなった。正確に言えば、近づくことはなくなったのだ。
それから巳継と相馬は、友人となった。
葵が大学の中まで迎えに来た時、そこで初めて相馬と出会った。巳継は相馬を葵に紹介する。相馬は、葵から目が離せなかった。この時、彼は初めて恋をしたのだ。初めて生まれた感情が爆発して、相馬は出会って早々「好き。結婚して」と発してしまった。巳継は口をあんぐりとさせて驚いていたが、葵は取り乱すことなく「他をあたれ」と冷たく返し、巳継の手を引いてそそくさと帰ってしまった。
この後葵は、巳継の友人に酷いことを言ってしまった気がすると反省していた。巳継が後から知ったことだが、あの時は、二つ歳上の自分と恋愛をしても後悔をするだけだと考えての返事だったらしい。
しかし、相馬が葵を諦めることはなかった。葵が巳継の迎えに来るたびに花束を渡しては告白をしてを毎日続けた。時にはラブレターも添えて、猛烈にアプローチをし続けた。それが五か月も続くとようやく、相馬は葵から色よい返事を受け取ることができた。
巳継は、もう一つの拠り所を手に入れた。
相馬は公爵の子息であった。大学を卒業した後、父親から縁談話を多く持ちかけられたが、相馬は葵と結婚することを諦めることはなかった。当然反対され続けたものの、気が変わったのか、突然結婚を認められた。相馬は葵と一緒にいられることに喜び、怪しむことなど一切しなかった。
それがいけなかった。
葵が相馬のもとに嫁いでから、彼女に異変が生じた。突然吐血し、倒れてしまったのだ。医者によると、肺結核とのことだった。治すことはできず、延命できても最長で三か月。葵の身体はみるみるうちにやせ細っていき、治療を施しても、薬を服用し続けても、効果は全くなく、むしろ衰弱していくばかりだった。
結婚して五か月が経った頃、葵は息を引き取った。相馬は悲しみに明け暮れ、葵がいた部屋にこもるようになった。それから三年が経ち、相馬の父親は、息子の哀しみには目も暮れず、公爵令嬢との縁談を幾度となく持ちかけてきた。相馬はようやくそこで、父親の不審な言動に気が付いた。
父親の目的は、葵の資産であった。葵の父が残した財産、事業を手に入れ、自分の息子を公爵家の令嬢と結婚させれば、子爵であった葵は不要だったのだ。そのため葵の食事には毒を混入させ、医者にも根を回した。
相馬はそれを聞かされ、怒りのままに父親を殺害した。何度も何度も鈍器で頭を潰し、大量の血が飛び散った。数えきれないほど殴って、激しい怒りの中で、ふと葵の笑った顔が頭に浮かび、ようやく殴るのをやめた。大粒の涙が滝のように流れ、その時彼が思ったことはただ一つ。
『会いたい』
初めて葵と出会った橋で、巳継は相馬を待っていた。巳継は大学を卒業した後、編集者の仕事を始め、葵と住んでいた家を離れて都落ちしたのだ。そんな時に、相馬から連絡が来て、彼は再び故郷の地へと足を踏み入れた。
「人が誰も通らない夜に来てほしい」
巳継は言われた通りに真夜中に呼ばれた場所まで行き、相馬を待っていた。少しして雨が降り始め、雨宿りをしようと思ったその時、相馬の姿が見えた。傘もささずに、ゆっくりと近づいてくる相馬を見た時、巳継は変わり果てた友人の姿に目を疑った。顔が汚れ、白いシャツが赤黒く染まっていたのだ。巳継は何があったのかを問いただそうとすると、彼はただゆっくりと手に持っていたものを見せた。二つの指輪だった。
「葵が親父に殺された」
相馬の告白に、巳継はただ呆然としていた。
「俺は葵に会いに行くから、巳継は生きて、俺たちのことを忘れないでいてほしい」
二つの指輪を強引に渡され、相馬はふらふらと、何か独り言をつぶやきながら、欄干の上に立つ。巳継はそこで、ようやくハッとした。自分がいない間にいったい何が起こったのか。葵が死んでしまったのは本当なのか。どうして自分は、彼らに何もしてあげられなかったのか。考えながら、責めながら、必死に相馬にしがみついた。
「相馬!私がこれからずっとそばにいるから!死んじゃダメだ!」
拠り所を完全に失えば、巳継に生きる意味などなかった。
「会いに行きたいんだ!!」
相馬は必死に離れようとして、足を滑らせた。巳継も予想外のことで、相馬を止めることができず、川に落ちてしまった彼を追いかけて、自ら飛び降りた。死なせてはいけない。また孤独になってしまう。あんな思いは二度と繰り返したくもない。焦りが募り、巳継は相馬の腕を掴むことができるも、岩に頭を打ち付けてしまい、気を失ってしまった。
その翌日、巳継と相馬は溺死体で発見された。
邂逅
巳継と相馬は椅子に座っていた。そこは身に覚えのない、洋風な部屋だった。窓を覗くと、森が広がっていた。巳継は生気の失った相馬の手を引き、周囲を警戒しながら外に出た。
巳継は目を疑った。まさか。そんなはずはない。そう思いながら、相馬に声をかけた。彼は徐に顔を上げ、途端に目を丸くした。そして巳継の手を離すと、目の先に立っていた人に抱きついた。
葵だ。彼女は生きていた。相馬は涙を流しながら、葵の名前を何度も呼んだ。巳継も傍に寄り、助けてくれたことを感謝した。
「私は助けてなどいない。お前たちがここに来る三年前に死んだ」
「えっ……?で、では、私たちは……」
「死んだらしいな」
冷静に言われ、巳継は呆気に取られてしまった。次の瞬間、葵は相馬と巳継を思いきり殴った。
「痛っ……くない」
痛みのなさに、相馬と巳継は、自分たちが本当に死んでしまったことを実感した。葵は何度も二人を殴った後、二人まとめて強く抱きしめた。
「来るのが早い……!バカ……!」
その日、巳継たちは再び巡り合えた。この地を「箱庭」と呼び、100年もの年月の後、希望がやって来る。
流神である。
ミツギ(12月7日)
懐かしい夢を見た。眠ったのは何日ぶりか。本来眠る必要はないが、おそらく、心が疲弊しきっていたのだろう。無駄な時間を過ごしてしまった。
「……えっ」
立ち上がった時に、自分の身体の上から何かが落ちた。毛布だ。一週間はずっと寝ないように決めていたから、自分が掛けたわけじゃない。そもそもここに来る時には何も持ってきていないはずだ。アオイ様は森へ行ってしまわれたし、ソウマも主と一緒にいる。
「なら誰が……」
『この子の世話は、お前に任せる』
ふいに、アオイ様の申し付けを思い出した。主からの命であったから、あのお方の世話係を任されてからは、ここに来る時間を短くした。けれどたまに、あのお方と過ごす日々が楽しく思えて、塔通いが疎かになる日もあった。
アオイ様とソウマの宝物であるあのお方。そういえば、最後にあのお方と顔を合わせたのはいつだ?どうして私は、必死に天啓を求めているのだ?
アオイ様とソウマへの恩返しのため?
違う。
違う。自分のためだ。自分のため、だったのだ。拠り所が欲しくて、失ってしまうことが怖くて、孤独になりたくなくて……。主と友人を理由にしてしまっていた。どちらも失いたくなかった。そうなってしまうくらいならば、いっそのこと、自分が死んでしまえば楽になりたいなどと……。
「私は……愚か者だ……!」
きっと、アオイ様もソウマも、気付いていたのだろう。本当にバカだ。私は、愚かだ。
頬を伝うそれを両の掌で受け止める。
「私は、気付くのが遅かったのですね……。自分のことだというのに……。結局私は、あなたたちに救われるばかりで、自分は何も……。ここにいる資格なんて初めからーーー」
「そんなことない!!」
ルカ(12月7日)
六日前からミツギさんが帰って来なくなってしまった。アオイたちが森へ出かける前に、ソウマくんから「きっとミツギは、あの鐘の塔に行くと思う」と聞いていたから、遠くに行っていなくて安心した。
ミツギさんが出かけてしまった日から、僕は朝昼晩のごはんを届けるようにした。食べてはもらえなかったけど、それでも毎日届けに行った。声をかけようかとも思ったけど、どうしてだか、それはいけないような気がしたから、我慢した。家の掃除も頑張った。庭もきちんと手入れをしたし、畑の様子も毎日見て行った。たまに様子を見に行ってみたけど、やっぱり話しかけづらくて、すぐに家に帰った。家に一人でいるのは初めてだったから、怖くて、アオイとソウマの部屋で寝た。それでもやっぱり怖くなって、ミツギさんの邪魔にならないように、毛布と枕を持って、草の上で寝るようにした。
三日前、夕食を作って届けに行くと、ミツギさんが倒れていた。僕は驚いて、慌ててミツギさんの身体を仰向けにさせると、静かな寝息が聞こえた。死ぬかと思った。とりあえず風邪を引かないように、自分の毛布を掛けてあげた。ゆっくりと頭を上げて、枕も置いた。
「眉間に皺寄ってる」
彼の眉間を優しくグリグリとほぐして、頭を撫でる。ミツギさんはいつも爽やかな顔をしているから、こんなふうに疲れきっている顔を見るのは初めてだ。そっと彼の頬に手を当てると、いつ通り冷えていた。アオイも、ソウマくんも、いつも冷たい。小さい頃、それが気になってみんなに聞いてみたら、アオイとミツギさんは、もとから体温が低いからと言っていたけれど、ソウマくんは冗談ぽく「もう死んじゃってるからかもね」と言っていた。ミツギさんにそれを言ったら、「揶揄われただけですよ」と言っていたけれど、成長して16歳になると、なんとなく察してしまった。アオイたちは本当に、死んでしまっているんじゃないかと。でも、それを完全に自覚してしまえば、アオイたちがいなくなってしまうんじゃないかと怖くて、考えないようにしてきた。こうしてミツギさんが眠っている姿を見ていると、どうしても不安になってしまう。どうしてアオイもソウマくんも、ここから離れてしまったのだろう……。なんだか嫌な気がして、胸が痛くなった。
今日、夕食を作って塔に戻ると、ミツギさんが立ち上がっていた。僕は夕食をその場に置いて、彼のもとに駆け寄った。
「私は……愚か者だ……!」
彼の名前を呼ぼうとしたのをやめて、足を止めてしまった。顔を俯かせて、嘆いている彼に、どう声をかければいいのかわからない。けれど、ただ一つわかることは、彼が泣いていること。後ろ姿しか見えないけれど、それだけはわかる。いつも優しくて、余裕のある人だとずっと思っていた。だから、憧れていた。こういう人になりたいと。でも、本当は余裕なんてなかったんだ。この人も人間なんだ。完璧じゃない。僕よりも、ううん。きっと、アオイやソウマくんよりも、ずっと重い荷物を背負い続けてたんだ。それをどうすることもできなくて、ずっと思い悩んでたんだ。僕は、気付いてあげられなかった。アオイとソウマくんは、わかっていたんだね。
「私は、気付くのが遅かったのですね……。自分のことだというのに……。結局私は、あなたたちに救われるばかりで、自分は何も……。ここにいる資格なんて初めからーーー」
「そんなことない!!」
咄嗟に、彼を抱きしめていた。僕はもう、逃げない。
「ミツギさんがここにいなかったら、僕はきっとここにはいなかったのかもしれない!アオイたちに会えなかった!アオイもソウマくんも、ミツギさんがすごく大事だから!大切だから!あなたがそばにいてくれたから!笑っていられた!僕も幸せだった!だから!お願いだから!……っ。ここにいる資格がないとか……。言わないで……」
言いたいことが、上手くまとめられない。ただ、ミツギさんに大丈夫だよって伝えたくて、ここにいていいんだよって言いたくて……。泣かないで欲しくて……。一番つらいのはこの人なのに、哀しくて怖い思いをしているのはこの人なのに、涙が止まらない。口も手も震えてしまって、抑えられない。
「ルカ様っ……!」
身体が離れてしまったと思うと、彼は振り向き、僕を強く抱きしめた。
「ルカ様……!ルカ様……!」
何度も僕の名前を呼んでくれるこの人が、とても愛おしい。大きな身体に包まれて、冷たいはずなのに、どうしてだか、温もりを感じる。温かくて、とても心地いい。彼の涙が、僕の右肩を濡らし、僕の涙が、彼の胸元を濡らしていた。しばらくこうしていてから、ミツギさんは、僕を抱きしめながら、ゆっくりと心の内を明かしてくれた。泣き止んだはずの涙が、またポロポロと溢れて、彼はそんな僕の背中を撫でてくれた。
「僕、ミツギさんたちがもう生きている人じゃないって、知ってたんだ」
ミツギさんの身体がビクッと震えた。
「いつかみんなが、僕の前からいなくなっちゃうんじゃないかって、怖くて……。ごめんなさい。今まで、黙ってて……」
ミツギさんと目を合わせて、ようやく伝えられた。彼はまた僕を強く抱きしめた。
「貴方を独りにはさせない。私がそばにいます。それが、主の命で、私の望みだから」
「でも、僕はみんなとは違う……」
僕は生きている。もう死者である彼らとずっと一緒にいることはできない。ミツギさんは、不安がっている僕の手を握った。そして、「大丈夫」とだけ告げられ、僕の手を引きながら、家へと帰った。彼の背中が、いつもより逞しく思えた。
それから僕は、初めて天啓のことを知った。
晩餐
アオイとソウマが、夕刻家に帰ると、家中がクリスマスの飾り付けをされていた。リビングに入った瞬間、パーンッと二つ鳴り、クラッカーの中身がアオイとソウマの頭や肩に飛んだ。
「おかえりなさい」
元気よく笑うルカとミツギが、二人を歓迎した。ソウマは目の前のご馳走に釘付けだったが、アオイだけは、ミツギの顔を見ていた。
「ルカはすごいだろ」
咎められるのではないかと、ミツギは身を強張らせていたが、予想外のことにポカンとしてしまう。
「ルカ、バカの相手は大変だっただろ」
ルカは少し考えた後、様子を窺ってくるミツギをチラリと見てから「うん!」と元気よく頷いた。ミツギは申し訳なさそうにしていたが、それが嬉しいのか、笑っていた。
「アオイ、早く食べようよ」
お腹を空かせたソウマが急かし、アオイたちは席に着いて、談笑しながらごちそうを食べた。そして、一週間の出来事を打ち明け、早めのクリスマスを終えた。
「ぐっすりだな」
ミツギに抱えられながら眠っているルカの髪をそっと撫でて、アオイは愛おしそうに見つめる。ミツギは、ルカを優しく見守っているアオイとソウマに目を向けた。
「明日、ここを発ちます」
アオイは、ルカの髪を撫でながら「そうか」と答えた。
「いい判断だよ。せっかく覚悟を決めたのにゆっくりされてちゃ困る」
ソウマは素っ気なく答えたが、涙目になっていることに、アオイは気付いていた。
皆、互いを想い合っていた。だからこそ離れがたくも、決断しなければならなかった。それが互いのためであったから。
「人との別れは必然だ。仕方がないことだ。けれど、それを受け入れる必要なんてない。受け入れなくていい。それを糧に生きていくことが最も重要なことなんだ。それでもつらいのなら、死んでしまえばいい。ただ死ぬ前に考えろ。先に死んだ大切な人が、己が死ねばどう思うのかを。ルカ。私たちのようなバカにはなるなよ」
訣別
「アオイ、ソウマくん。今までありがとう」
涙を堪えながら、ルカは二人を抱きしめた。
「向こうはこことは環境が違うかもしれない。頑張って生きろ」
「うんっ」
「泣き虫なとこも直さないとね」
「頑張るっ」
「ミツギ」
アオイは腕を大きく広げ、ソウマとルカも便乗して、手招いた。ミツギはグッと涙を堪えて、アオイたちに抱きついた。
「私たちの子を任せたよ」
「守れなかったら祟ってやる」
「最期まで、必ずお守りします」
しばらく抱きしめ合った後、大きく笑って、ルカとミツギは背を向け、前へと進んだ。振り返ることなく、ただゆっくりと、2人の姿が遠ざかって行く。
アオイは、無意識に手を伸ばしていた。少し走れば届く距離にいるのに、それをしてはいけないことがもどかしい。ソウマは、恋人の涙を久しぶりに見た。
「アオイ」
アオイの肩を抱きながら、優しく名前を呼ぶ。彼女は手を伸ばし続け、走り出したい足を必死に堪えた。
「ソウマ、私はあの子に何かをしてあげられたか……?母親らしいことを、私はあの子に何も……。自分でわかっていたことなのに……。行かないでほしいだなんて……。思ってしまうんだ……」
「それは、俺の方が何もしてやれなかったよ。俺の方がよっぽど、父親らしくない……」
後悔が2人に押し寄せてくる。3人でここにいた時間は100年以上で、ルカとはたったの17年だけ。アオイとソウマにとって、この17年は短すぎたのだ。
だが、彼にとってはとても長い、貴重な17年であった。
「母さん!父さん!」
遠くで、自分たちをそう呼んでくれる愛しい子の叫びが、森に響く。
「育ててくれてありがとう!いってきます!」
大粒の涙が、溢れ出した。自分たちの子は偉大であった。それを誰よりもわかっていたのは、親である自分たちであったというのに。何故、後悔することがあるのだろうか。必要なかったのだ。ただ必要なことは、親として、愛しい子の背中を押すことなのだ。
「いってらっしゃい、流神」
やがて彼らの姿は消え、崩壊しかけていた家は、元の綺麗な状態に戻った。夫婦は箱庭で永遠を過ごし、此岸の彼らは、寿命尽きるまで、充実した生活を送った。互いが互いを忘れることは決してなく、毎日互いを想い合いながら、それぞれに幸せを築いて。
天はしばらく荒れていた。
あとがき
ここまで読んでくださり、ありがとうございます!稚拙な文章ですが、いかがだったでしょうか?
自分は思いついたことをまとめずに、いきなり書いていくタイプなので、おかしいところがあるかもしれません。ごめんなさい。
今回は長いお話になってしまいましたが、満足していただけると幸いです。
他の作品も読んでくださるとありがたいです!
ありがとうございました!!