いにしえのオタクが『劇場版 美しい彼 〜eternal〜』を観てきた話
Huluで『美しい彼』のドラマを全話見て、原作も全部読んで、あっという間に沼落ちしてから3日後、『劇場版 美しい彼 〜eternal〜』を映画館で見てきました。
実は見に行く前、一抹の不安がありました。
これまでもドラマの映画版には失望させられることが多かったからです。
ドラマの映画化といえば、テレビ版を見ていない人のために単純化された世界観、2時間を盛り上げるために無理やり感のある事件が起こり、ドラマで丹念に紡がれたコンテンツが無惨に浪費されていく……という経験をしたことは一度や二度ではありません。
しかし、ここまでハマったドラマです。
見に行かないわけにはいきません。
意を決して早朝、近所の映画館に足を運びました。
見た感想としては。
とりあえず、ホッとしました。
やっぱり原作のある作品は強い。
シリーズ2の続きという作り方も上手い。
おかげさまで、その後もう一度普通に見て、さらに副音声でも見ました。
5月の終盤、段々と上映館が少なくなっていく中で、新幹線に乗って見てきました。
副音声で観賞していた時は、なんとか笑わないように耐えに耐えていたのですが、八木くんの「俺の親指、ポークビッツ」の下りで、つい自分の親指を見てしまい、マズイ!と思った次の瞬間、隣の人も自分の親指を見ていたので、仲間!と思って嬉しくなりました。
ありがとう、貴女は魂の友達。本当にありがとう。
ドラマ版を見ていた時は、あまりにも平良が清居を神格化しているので、清居が老いて美しくなくなったらどうするんだろう……と勝手に心配していたのですが、映画版で平良を助けに戻ってきた清居が、メチャクチャぶさいくな顔で泣いているのに(※個人の感想です)平良はモノローグで「泣き顔もこの上なく美しかった」とか言っていたので、こりゃ恋は盲目だわ、全然大丈夫だわと安心しました(笑)
ここからは『美しい彼』とは直接関係のない、最近のドラマ製作者たちに対して思っていることです。
時々ね「私たち、なめられてるな」って感じることがあるんですよ。
視聴者をなめてるんじゃないかな、って。
「こういうのをアナタたちは求めてるんでしょ?」と安易な結末を差し出されているな、と感じることがあるんです。
男女の恋愛でも、同性愛でも、そのゴールを「結婚(またはそれに類するもの)」として描く場合、それをあまりにも安直に差し出されると、なんかこれ出しときゃいいだろ、みたいに思ってません?という疑念が浮かびます。
最近はさすがに「結婚」というダイレクトな形でなく、「一生一緒にいる」という言葉で言い換えてることも多いですが、まあ同じことですよね。
そして、そういうシーンの時に、女性役の方が白い服を着ているのも、だいぶテンプレになってきて。
なんだかな、と思います。
特に同性愛を描く場合、それがリアル寄りでもBLでも、せっかく男女の恋愛のテンプレから脱したところにある、人がどういう時に他人に惹かれるかを描くチャンスなのに、それをみすみす「一生一緒にいようね❤️」で締めくくってしまうのは、あまりにもあまりにももったいない。
私たちはもう「結婚」という契約制度を「愛」でコーティングすることのいかがわしさに気づいているはずです。
そして、破綻した契約を継続することの虚しさも知っているはずです。
人生80年と言われる時代、一生1人のパートナーと一緒にいることは、それが生き別れであっても死に別れであっても、非常に難しくなっています。
老老介護は増え続け、一生一緒にいることは綺麗事でもなんでもありません。
それでも、たくさんいる人間の中から、ほんのひと握りの人と出会って、さらにその中のひと握りの人に興味を惹かれて、仲良くなって、関係を深めていく中で「この人とずっと人生を一緒に歩いていきたいな」と思う。
そこに男も女もないでしょうし、もっと言えばそれが恋愛かどうかもわからないでしょう。
それでも他人に手を伸ばしたいと思う気持ち。
そのギリギリの純粋さをBLは(男女という制約がないからこそ)描いてきたと思うわけです。
これからもBL作品は量産されていくでしょうが、なぜBLが支持されたのか、そして今なぜこんなにも市民権を得ているのか。
それはひとえに混沌を極める時代において「純粋な関係性」を求める人が増えているからではないでしょうか。
なんてことを、いにしえのオタクは考えたのでした。
次は『オールドファッションカップケーキ』の感想を書きます!(予告)
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