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世界が小さくなっていることを感じます

 みなさん初めまして。山﨑 涼光といいます。自主制作でフォントづくりやグラフィックデザインをしている学生です。

 前々から,日々の思うところや趣味のお話を書き記したいという思いがあったのですが,なかなか機会がなく,できずじまいなっていました。しかし,今日目を覚ましたときに「試しにnoteを始めてみよう」と思い立ったので,それから記事の準備をずっとしていました。

 そんなときです,2024年1月1日,能登半島地方を震源とする大きな地震の報が入ってきました。まさか元日に。ひどく心を痛めています。記事の投稿を自粛しようかと考えました。しかし,思い立ったこの日を逃すと,もうずっと投稿できなくなるような気がしたのです。

 そこで,急遽新たな記事を書くことにしました。本来,投稿予定だった記事はまた日を改めて公開します。

 幼い頃は,地震のニュースを見聞きしても,どこか遠くで起きている話のような気がしていました。しかし年を重ね,多くのひとと知り合うにつれて,とても身近なことだと思うようになりました。

 世界が小さくなっていることを感じます。世界情勢の話も同様です。ほんの十数年前であれば,「遠いところの出来事」だったのに。

 SNSを頻繁に利用するようになったことも大きいのでしょう。知り合い,一方的に知っているひと,知らないひと,みなさんの「声」がSNSを通じて届きやすくなっています。これからますます世界がぐんと縮まっていくのでしょう。

 「まさか元日にこんな大きな地震が…」とも思いますが,それはある意味,自然災害にとって私たち人間の都合がいかに関係のないことか,ということを実感させます。被災地の様子を映す報道を見ると,心がゾワゾワします。

「そこには日常があったのではないだろうか…」
「そこには一家団欒があったのではないだろうか…」

 頭の中は,ずっとそのようなことでいっぱいになってしまいます。ちっぽけな私には何もできないわけですから,普通に今まで通りの生活することが何より大切なのかもしれません。でも今回ばかりは,モヤモヤが尽きず,それを吐き出す思いで文章にいたしました。

 私は福岡に住んでいるので,地震の直接の被害は受けていません。一方,いま北陸には私の友人がいます。彼らのことをとても心配していますが,相手の状況がわからない以上,私からメッセージを送るのは控えています。

 私には,ただただ友人含むみなさんの無事を祈るしかできません。この記事を読むことができる状況にあるかもわかりませんが,祈りの思いが届くことを願っています。