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描き分けてなんかいないよ

がっかりすることがあるので書いておく。

たまに「(明るい絵と暗い絵とを)よく描き分けられますね」と言われる。それは見当違いだ。描き分けてるんじゃなくて、自然とそうなっちゃうのである。

私の描く女性画には
・自分を描いた絵
・モデルさんを描いた絵
のふたつがある。登場する人物への心の寄り添い方が違うから、自然と出てくる絵も違ってきちゃう。

<自分>画像1

画像3

画像3


<モデルさん>画像4

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内田すずめ「紫苑のこと」紙、鉛筆

極端だという自覚はあるけれど、断じて描き分けてはいない。まず描きたい絵が自分の中で出来て、その後その絵に合う場所を探して展示する。毎回この流れ。

私は「極端にやり切る」ことを試してみないと答えが見つけられないタイプなんだと思う。とことん暗い自画像、とことん眩しい女性像。違うものを描いてその間で振り子が大きく揺れて、でもいつかその振り子が静かに止まるときが来るんじゃないかなって思ってるよ。とりあえず今はやりたいことをやり切るよ。

私は作品を通じて「生きながら生まれ変われる」ことを証明したいのです。そのためには「命のありか」と「心のありか」を解き明かさなければなりません。2020年は自分の子宮の音を録音する予定。いつか子宮コンサートを開きたい。頂いたサポートはそれらの研究費用とさせて頂きます!